1) パターンランゲージの作成
これは、通常のプロジェクトでの基本計画に相当する。
パタン・ランゲージは、良い建築に共通のパタンをリストにしたものである。これらのパタンを語として組み合わせると言語になるが、それらの言語を具体的なプロジェクトの中で特定し文章化すると、プロジェクト・ランゲージになる。求める建築の文章によるスケッチと言って良い。
アレグザンダーは、100名の教職員との個別のインタビューを通じて、これの作成にあたった。
アレグザンダーには、良い建築を作るには、施主と建築家が設計に入る前に、建築の話し抜きで黙って3年付き合う必要があるとの矢田洋(「嫌だよう」とのペン・ネーム。「建築馬鹿」シリーズ、鹿島出版)の意見を伝えていたし、安井に学校とは何かを問い直すのに教職員と3ヶ月、建築の話抜きで付き合ってほしいと依頼し拒否された経緯も話してあった。
アレグザンダーは、3年も付き合う余裕はないが、それに見合う作業を保証すると約束してくれたので、パタン・ランゲージの作成を進める手法に注目した。
アレグザンダーら設計スタッフと100名の教職員は、連日、個別の対話を進めていった。
「学校の聖域とはどこか?」など意表をつく質問もあって戸惑う教員もいたが、ノー・ネクタイのワイシャツにコーデュロイのズボンで年中通している彼の気さくな人柄と率直な物言いは、初対面の対話に起こりがちなぎごちなさを解きほぐすのに効果があったようだ。くつろいだ雰囲気の中で、それぞれの教員が新キャンパスに何を望むのかが徹底して問われ続けた。多様な学校活動の状況から新しいキャンパスへの夢に至る多くの話題を巡って、誰もが、アレグザンダーとのくつろいだやり取りを楽しんでいた。
「言いたい放題のことを言ってきたけど、あれでよかったのかな?」と心配する教員もいたが、本音であればそれで良いのである。建前という今の常識の厚い殻を破って「本音」を引き出すのがこの作業の眼目であり又最も困難な部分なのだ。
建築家は誰でも施主側の要望を聞き、それに基づいて設計作業を進める。従って、「使用者参加の原理」は決して特殊なものではなく、どの建築家もやっている当たり前の手続きなのだという意見があるようだが、それは違う。施主側の全員と個別の対話をする建築家は普通いないし、その対話の主要な目的が一人ひとりの「本音」を確かめることだという点こそが、アレグザンダーの使用者参加の原理の特色なのである。
人々は、現代技術文明の潮流に、首までどっぷり浸かっている。建て前、常識の奥に隠されている「本音」は、本人自身さえ自覚していない。意図的に意識の深いところまで掘り下げていかないと、それに届かないのである。
この「本音」がないと、対話で語られることの記録は、時々の時代の流れを写しとること、時代の流れの反映を集めた断片の寄せ集めにしかならない。本音を探り当てるのが、設計者の最重要課題であった。アレグザンダーの注意深い「本音」を探る質問の姿勢を抜きに、この作業はできなかったのである。
全国の学校のほとんどがRC造の近代建築である今日、“学校”という言葉から、かつて学んだことのある、あるいは写真で見たことのある擬洋式の木造二階建て校舎をイメージする者はまずいない。写真でさえ見たことのない者には、元々木造校舎のイメージが存在していないのである。
八幡浜の日土小学校を設計した松村正恒は、宇和で開かれた第一回「木造フォーラム」の講演で、黒板に書いた学校という文字を「木と交わりて学ぶ。」と読んだが、この意味を示唆する木造校舎そのものが、今はどこにもないのである。
アレグザンダーは、「どのような武道場がほしいのか?」と体育科教員の一人ひとりに質問し、そこから浮かび上がってきたのは、伝統と文化に根ざす精神性を持った武道を学ぶ場としての武道場ではなく、機能だけの体育館だったと、憮然としていた。国際的な柔道の普遍化の過程で、柔道は完全にスポーツ化しているのが現状である。スポーツの場として体育館がイメージされるのは、現状の反映としてごく自然だったのだ。
さらに、あらゆるものを相対化する相対主義=真理複数説が多数を占める現代では、「本音」の実在さえ疑わしくなっている。“本来の柔道”などというものは、既に無くなっているか、あるいはどうでも良いものになっているようだ。従って、体育科の教員自身のイメージに、“あるべき”武道場は存在しなかったのである。誰もが現代文明の潮流に流され、相対主義が支配している現代では、「本音」を探り当てることを抜きにしては、使用者参加の原理は機能し得ない。
どのような武道場がほしいのかを体育科教員一人ひとりと話しあったアレグザンダーの感想は、人々を包む今日の常識の穀が厚く、彼らの考えをそのまま聞くだけではダメだと言う状況を端的に示している。彼らの言葉を総合すると、そこに浮かび上がるのは、普通の体育館になってしまうのだった。
スポーツが目的なら、体育館でよい。スポーツを目的とする体育館を二つも建てる必要はない。国際化の中で柔道をスポーツとして考えている日本人の体育科の教員らは、武道としての柔道を考え武道場に精神性を込めようとした外国人アレグザンダーの意図を理解できなかったのである。
更に踏み込んで、柔道の精神性についての彼らの認識を引き出すのは、容易な作業ではなかったと思う。体育館でよいなら、わざわざ階段を登るアプローチなどはいらない。むしろ外から入るのにレベルは同じ方が良い。玄関の広い板の間の式台、両開きの大きな板戸、天井の高い畳敷きの空間、天井の高さまでレッド・ウッドを張り詰めた壁、高窓からの採光によるやや暗いが緊張した厳しい雰囲気を持つ空間、これらはスポーツだけのための体育館にはいらないが、精神性を持つ武道場には不可欠な要素だったのだ。
常識の穀を破って、教員らの本音を探り当てそれらを言葉にする上で、建築家としてのアレグザンダーの役割はきわめて大きかった。時代を超えた建築のあり方を追求してきた彼によって、初めてそれができたと言える。全教員とのインタビューの内容をパタン・ランゲージにまとめる手法は、通常建築家が施主に要請する要望の集約とは決定的に違うのだ。
個別のインタビューでは、様々な要望が出てくる。一般に建築家が施主側の要望を確認する手法と決定的に異なるのは、必ずしも施主側の多数が共有していない個別のアイデアや意見を積極的に取り上げていくことである。
どの建築家も施主の要望に基づいて設計作業を進める、すなわち使用者参加の原理(user participation)を実践していると言う。ここで問題になるのは、建築家が施主側の要望を得るための方法である。
会社、学校などでは、施主側の人間は複数いる。その一人一人と対談するなどということは、おそらくどの建築家もしない。必ず、施主側で良く協議して、「要望をまとめてきてほしい。」ということになる。協議は、施主側の幹部が取り仕切るだろうし、多くの人びとが要望していることが中心となるのは当然であろう。この場合、多数が共有しないような個別の意見は、無視される。一々これらを取り上げていくと収拾がつかなくなるからだ。要望書は多くの人々の意見を主とした、いわば最大公約数に収斂するのが普通である。
建築家は、このまとめられた要望書に基づいて設計していく。
さらに、決定的な条件がつく。施主側の要望書が提出された後は、設計作業の一切をプロである建築家に任せてほしいということになる。このトドメの一撃で、「使用者参加の原理」は崩壊する。
有名建築家たちは、決して使用者の一人一人と相談したりはしない。まして、使用者側の人々と協働で設計作業を進める例など、今日では、おそらく皆無であろう。
彼らの共通の手法であるが、建築家の施主へのプレゼンテーションとして、設計作業に入る前に完成予想図=パースが提示されるのが普通である。これで、施主側のイメージは設計者の主観に基づくイメージに拘束されてしまう。「使用者参加の原理」は、決定的な制約を受け、働く余地がなくなるのだ。
アレクザンダーによる使用者参加の原理の具体化を整理してみる。
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- 全教員と個別のインタビューが行われた。
- インタビューでは、彼らがまとう現代文明社会の厚い殻を破ってその底に無意識に隠されている「本音」を探る。
- キャンパス全体に何を求めるかという次元から、個々の施設等に関する要望に至るまで、教員は、それぞれの考え、希望を率直に述べる。大勢が共有するような最大公約数を求めたりはしない。
- 誰にも共有されない個人的なアイデア、要望であっても、それが目指すキャンパスの実際にふさわしい場合には、積極的に取り上げる。
- 個性の伸長を目指す学園のユニークな教育理念を具体化する教育の現場をつくることを念頭において、教職員・生徒の毎日の生活の場=「住まい」の創造という目標に照らして意見、要望を述べていく。
これらはいずれも、通常の建築家による設計作業では行われない。なお、この段階では完成予想図が存在しないので、それに個々人のイメージが制約されることはない。この点も、通常の設計作業とは決定的に違う。
五月、アレグザンダーは、教職員が待ちに待った第一次原案を持ってきた。初めての経験だったが、誰もが自分自身の参加した作業の成果を目にして、改めてこのユニークな設計作業の進め方を納得したように思う。
そこには、彼らが共有する意見や提案だけでなく、全く個人的なものも採用されていたのである。教員の会田隆昭は、「これはそのまま、教職員の思いで学校を表現している『詩』ではないか。」と述べた。彼は、ここに描かれている全体像の持つリアリティーを感じ取ったのだと思う。「ホーム・ルーム通り」は、化学の戸水教諭の提案だ。北九州市に、小さなRC造の保育室を敷地内の通路の両側に配置した幼稚園の例がある。住宅街、商店街など、道の両側に建物が並ぶ通りのイメージは誰もが馴染んでいる。教室棟がホーム・ルーム通りの両側に配置されている光景には、誰もがそのまま自然に受け入れられる懐かしさがある。学校の校舎としてはユニークだが、教室棟をそれぞれ独立させるという考えに立てば、このパタンは、むしろ人々の馴染んでいる自然の流れに乗って生まれたものと言えよう。
「池」は、起伏のある茶畠の一部に雨が降れば水たまりになる窪地から生まれた提案である。起伏を均らして人工地盤を造成するという現代の造成工事の進め方では、窪地の存在などあっという間に消えてしまう。「池」になるべくして「池」になったという、この土地の自然から生まれた「池」の必然性などは、一顧だにされないことになる。
「ホーム・ルーム通り」や「池」は、この地域に特有な自然・風土に立つこのキャンパスに独自のリアリティーを与えている。
広大な狭山丘陵の一角に、木造低層の施設が散在し、大講堂と木造の体育館がその影を池に映す事になろう。この“詩”によって浮かび上がるキャンパスの全体像は、建築家個人の思いつきや主観的なイメージをはるかに超えている。その後、二回にわたって修正を加え、三度目に最終版が完成、七月に理事会の承認を受けた。「資料篇」に最終版を紹介する。