第 四 章(3)各段階での作業・「使用者参加の原理」の実践

2)配置計画

配置計画は、プロジェクト・ランゲージで予定されている個々の建物、池等の輪郭を示すための多数の旗竿を用意して、現地で進められた。アレグザンダーとの現地通いが始まった。ハイオ(ハンスヨアヒム・ナイス)、中埜博らの設計スタッフと教員有志が加わった。

課題の第一は、キャンパス入り口の位置を決定することだった。“住まい”ではアプローチとしての門と玄関は、人間で言えば「顔」に当たる重要な役割を持つ。第一の門と正門をつなぐ玄関道のあることはパタン・ランゲージですでに決まっていたが、その位置を決めねばならない。
県道側西から入るようにすると、すぐ急な勾配を下ることになり、場所によっては池が通行の障害になる。反対の国道側を入り口にすると、勾配のきつい坂を登らねばならないし、長い玄関道を取るのが難しい。それに、登下校時に急な石段の昇り降りは良くない。決まるまでに時間はかかったが、自然なアプローチとしては、平地を歩く長い玄関道をとれる北側に第一の門を置くのが良いということになった。決まってみれば、これは最も自然なキャンパスへの入り方だったと思う。

第一の門から八十メートルの玄関道を通って正門をくぐると、大講堂、管理棟、ホーム・ルーム通りに囲まれた広場に入る。正面は池の予定地で、その先の丘の上には池越しにカフェテリアを望むことになろう。木造体育館を池の左に配置すれば、その影を池に映すことになる。
歩きながら、建物の配置を決め、それぞれの位置を、青、赤、黄色、白のペナントをつけた旗竿で示していく。池の周囲を示すためには、等高線に沿って青色の旗竿を等間隔に立てる。大講堂、体育館、多目的ホール、柔道場には赤色、管理棟、教員室棟、教室棟、カフェテリアなど中小の建物には黄色の旗竿を四隅に立て、その間のラインを白色の旗竿でつないで、それぞれの建物の輪郭を示す。

実際に現地に立ってみると、池が意外に広くなりそうなのに驚いた。建物の配置が決まり、それらのボリュームが示されていけば、キャンパス全体の中で池の占める地位もわかってくるはずだ。
玄関道をたどり正門をくぐると、右手の大講堂と左手の管理棟、ホーム・ルーム通りに囲まれた空間に入る。広場になるところだ。青色の旗竿で示された池が大講堂の裏から正面に回り込み、すでに位置の決まっている体育館は池の終わる左手に立つことになろう。池越しに正面の登り斜面の上には、黄色の旗竿で輪郭を示されたカフェテリアが建つ予定だ。

実際に建ってしまえば建物の背後になって見えなくなるが、この段階でもイメージの強みで、管理棟のうしろには教員室棟、やや離れて柔道場、ホーム・ルーム通りの先には多目的ホールが透けて見える。こうして、キャンパスの全貌をイメージとして把握できるというのは、例えではなく、現地での配置計画作業の過程で、実際に体験できることなのだ。
まだ建物はないのだが、それぞれの位置が確定していくうちに、目の前に蜃気楼のようにパタン・ランゲージに基づいたボリュームの建物群が浮かび上がって来る。
これは、現地での作業を通じて初めて実感出来る体験であって、そこで得られる蜃氣樓=イメージは、実際に現地に立っている者だけが共有している。建物の実体はまだないがそれは言わばバーチャル・リアリティーであって、建築家が室内で机上の図面を見ながら頭のなかで画く思いつきによるイメージとは決定的に違う。
それに、室内には見上げる青空がない。丹沢から奥多摩、奥秩父にかけての連山の遠望がないし、見下ろす十六号線の谷間もない。何よりも、周囲の茶畠がないのだ。
複数の作業参加者が現地で体感できる蜃氣樓と個人の机上の図面を見ながらの個々の建築家の空想との違いは、目の眩むほど大きい。蜃氣樓のほうは、個人の思いつきを遥かに越えているからである。

普通素人は立体感をつかめないのだが、ここでは、それぞれの建物のボリュームがある程度このプロジェクトのパタン・ランゲージでわかっているので、旗竿で輪郭を示されている建物はそれぞれ、ほぼ原寸で浮かび上がってくるのを実感できる。予想しなかった楽しい体験で、スケールについて言えば、大講堂、体育館のボリュームに圧倒され、池の広さにとまどうことになった。
この段階では、イメージをふくらませながら立ち上がってくるキャンパス全体像の中で、それぞれの建物のより適切な位置を旗竿を動かすことで調整していった。建ってからではどうしようもないが、配置計画の段階でなら充分に時間をかけて最適の位置を決めることができる。

このキャンパスの配置計画が通常の学校のキャンパスと大きく違うのは、建物群が敷地の中央に置かれていることだ。通常、建物群は、敷地の辺か、コーナーにまとめられ、残りの広い部分がグランドになっている。このような配置だと建物群は外側の道路と接しているので、道路から玄関を通ってすぐ建物に入れる。後に述べるが、学校の前を通ると、授業中生徒が全くいないグランドは、なにか荒涼とした砂漠のような感じを学校に与えているのがいつも気になっていた。これを避けたいとアレグザンダーに要望していたが、彼は、建物群を中央にまとめ屋外運動施設をその周囲に配置することで見事に解決してくれた。サッカー場、テニス・コートは両側の塀の後ろで見えないのである。

玄関道を通って敷地の中央に位置する広場へ入る。大講堂、ホーム・ルーム通りは体育館とともに大きな池に面することになる。このユニークな配置計画は、二つの門、長い玄関道、広場、池とその周りの建物群によって、砂漠を避けたいという願いをごく自然に具体化している。
この現地配置計画で最も重要なことの一つは、周辺の自然・風土、環境を実際に体感しながら作業を進めていけることだ。地域の環境と無関係にそれを無視する建築家なら地図と敷地の図面を前にして机上で配置計画を作成できるし、又実際にそのようにしているのが普通だが、環境との調和を何よりも大切にしていこうとするこのプロジェクトでは、現地でのみ直接に経験できる実感に支えられて作業を進める必要があった。こうして、現地主義の強みが発揮される。
設計事務所の机を離れて、現地に立つ。旗竿で次々に建物の位置とその輪郭が決められ、この過程でキャンパスの全貌が浮かび上がってくる。全体との関連で、建物の位置を修正し、それが繰り返される。こうして出来上がった配置計画を写し取れば、それが配置図なのである。現地は訪問するが、配置図は地図と敷地の図面を見ながら机上で作成し、それを後で現地でチェックするという通常の方法の逆なのである。

現地に立って何の制約もなしにキャンパスのイメージを思い描くことは可能だが、それだけでは、他の人達(使用者)と共有できるものは全くない。しかし、この段階で配置計画に参加した教員らは、既にプロジェクト・ランゲージとして木造低層主体のキャンパスのスケッチを共有しているのだ。このスケッチに基づき旗竿を建てていく作業によってそれぞれの建物の位置と輪郭が原寸で示されていく。こうして今、目の前に浮かび上がってくる全体像は、何の制約もなく個々人が勝手につくり上げるイメージではない。

近代建築にとって何より重要なのは、あらゆる制約から解放された自由である。建築の目的に沿って必要な機能の系は建築家に与えられているので、それを組み込みながら建築家個々人の自由なイメージを具体化していけば良い。
地域の自然・風土などの環境はどうするのか?それは、新たな建築によって絶えず創造的に作り変えるものだ。地域の文化はどうなのか?古い文化は、かえって新たな建築によって、新しい息吹を吹き込まれるのである。建築に関わる文化遺産はどうなのか?文化遺産を新たに創造することが重要なのであって、古くからあるものの継承など、新たな創造の桎梏となるだけだ。地域の自然・風土も文化も建築での文化遺産も、建築家の自由なイメージを制約してはならない。あっさり言えば、これらは無視すれば良い。近代建築の手法から見れば、現地に立って周囲の環境を確かめながら進める配置計画など、全くの無駄なのである。
こうして初めて、建築家の完全に自由なイメージの創造が保証される。同時に、地域の風土・文化と切り離されることで、近代建築は文化遺産の継承という地下水に根を置くのを断念した。自由なイメージの具体化である近代建築は、一時の“徒花”となる。

このプロジェクトでは、建築家個々人の自由なイメージのために近代建築が捨ててきた地域の自然・風土、文化、建築での文化遺産のすべてを取り戻していった。教職員と生徒が毎日の殆どをそこで過ごす日常生活の場において、周囲の環境との調和、キャンパス内のあらゆる建物、施設間の相互の調和を重視する、計画準備の段階から施主と建築家の間の協議を中心に作業を進めるという昔ながらの当たり前の手法、現地主義、これらはすべて近代建築の行き方と正面から対立するものだった。
現地での配置計画作業は、そこでの体験を通じて、近代建築の問題点を明らかにするとともに、建築の伝統的な手法の意議を改めて確認させてくれたと思う。

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