第 四 章(3)各段階での作業・「使用者参加の原理」の実践

3)基本設計

それぞれの建物を、数人ずつの教員の小グループが担当することになった。大講堂は重量鉄骨造、体育館と柔道場、多目的ホールは木造大構造、管理棟、キャフェテリアは木造二階建て、教員棟、小音楽堂は木造平屋、ホーム・ルーム通り両側の教室棟は木造二階建てだが、一部は平屋の教室棟になる。

最初の問題は、面積配分だった。誰もが自分の関心のある建物、施設により広い面積をほしがるが、限られた総面積の中で調整するしかない。それに、重量鉄骨の大構造である大講堂も、広場をはさんで向かい合う木造二階建ての管理棟、教室棟との調和とバランスを考えなければならない。
大構堂の面積は収容人員の人数に対応する。このキャンパスに示威的な建物が不要だという点では教職員の合意ができていたが、それでもかなりのボリュウムになる。大講堂の大きさが決まると、建物相互の調和を考えて、体育館、柔道場、多目的ホール等のスケールを決めていく。

大講堂は、吹き抜けの大空間、舞台に向かっての板張りの平土間を囲んで二、三階に周り廊下を巡らせ、そこにも座席を用意する。収容人員は平土間八百名、舞台に向かい合う正面と両側の二階席で二百名の合計千名とした。
平土間の南側と東側の池に面する側には、板壁の間仕切りでそれぞれ二教室分のスペースをつくる。ここは、客席の椅子の収納にも使える。定員内でも全校生徒千二百名になるので、全校生徒を入れることはできない。ここは、父母も含む入学式、卒業式、文化祭の諸行事に使うこととし、全校生徒を一堂に集める行事は行わないことになった。必要があれば、広場の活用を考えれば良い。
舞台を見下ろせるように平土間に傾斜をつける劇場タイプが提案されたが、目的が講堂であって劇場を創るのではないとのアレグザンダーを初めとする意見で、フラットにすることで落ち着いた。後に、この平土間は実際に卓球などで有効に使われていた。傾斜をつけなかったのは、その意味でも正解だったのである。

大講堂に付属する小音楽堂には、大小二つの音楽室と教員室、大きい方の音楽室の一部は楽器庫に利用する。大講堂の舞台裏と繋がる連絡通路の片側にピアノの練習室を確保できた。
保健室には衝立ての後ろにベッド二台を入れ、来室者とそれに対応する養護教諭の椅子と机、それに衛生器具入れのケースを置けるスペースをとることになった。

図書室には、開架式の本棚と読書室を置く。司書の作業室を広くとるのは無理だったが、本棚のスペースと読書室は高校の図書室としては充分である。施設全体の面積は広く思えるが、個別に割り当てていくとそうゆとりはない。

アレグザンダーには、建築家探しを断念した時、近代建築家の思いつきのデザインによる建物を建てるくらいなら、敷地に擬洋式の二階建て木造校舎を散在させるほうがはるかにマシだと考えたと話したことがある。彼は松本の開明小学校を見ており、それに良い印象を持ったようだった。
彼の決断で、教室棟は、昔ながらの擬洋式木造二階建てとし、デザインも含めて、設計チームに加わった棟梁の住吉寅七に一任することになった。大工として実際に木造校舎を建ててきた経験豊富な住吉にとっては、お手の物だったと思う。両側に日本のクラシックとも言える擬洋式の木造教室が立ち並ぶホーム・ルーム通りの景観は、管理棟一階のアーチから見る教員棟と教室棟に挟まれた路地と並んで、このキャンパスのいたるところにある“懐かしい空間”の一つになっている。
教室面積は、定員四十名なので、主教室部分は四間、五間の二十坪より狭いが、通りに面している屋内のバルコニーと付属する教員個室を加えることになる。

木造平屋の教員棟は路地に面して式台を持つ玄関がある。上がってすぐの正面が校長室、右手に教員ラウンジ、左側には庭に面した縁側に沿って教員室が片側に三室並ぶ。この縁側には事務室の裏からも入れる。教員ラウンジは、教員がくつろぐ場として用意される予定だ。

武道場は、敷地の東南の角に位置し、アプローチは階段で玄関まで登ることになった。体育館なら、入り口にこのような階段など無いほうが機能的だが、武道の精神性を重視したのだ。玄関では広い板張りの式台に上がり、正面の両開きの戸を開くと、畳敷きの柔道場が広がる。必要な明るさは確保しながらも、やや暗い厳しい雰囲気がほしいと頼んだところ、アレグザンダーはそれは簡単に解決できると答えてくれた。南北の側は板壁だが、南側の壁に高窓を取ったのである。中世ヨーロッパの多くの教会が、この高窓を採用している。精神性を求めたこの武道場は、教会の空間というヨーロッパの文化を継承したのである。

キャフェテリアの一階の半分は、中央の通路をはさんで四人用、八人用のブースを配置した。残りのスペースは、普通のオープンなレイアウトでテーブルと椅子を配置した。二階のテーブル、椅子はすべてオープンなレイアウトで、教員用の食堂になる。池に面した外壁正面の装飾はアレグザンダーからピンクのダイアのパタンが示され、赤い屋根とともに明るく可愛らしい外観ができあがった。

第一の門は、アーチの開口部を持つ。正門は三階建てで、一階の両側と、アーチの開口部の上になる二、三階には教室を置く。教員の意見で、二階は初期の頃書道室になっていた。

体育館は、吹き抜けの大空間に板張りの床だが、天井は登り梁の構造がそのまま露わしになる。メインの床の片側には、アレグザンダーの提案で客席として使う幅の広い木造の階段がギャラリーとして設置される。広い空間に方向性を持たせるための工夫だ。

この間に、アレグザンダーから大小各建物の基本的な形が示された。屋根は、簡素な切妻である。建物によってサイズは違うし、合掌の傾斜も違ってくる。大講堂だけは、基本形が重なって、いわゆるバシリカ・スタイルになっているが、他は、サイズの違いはあっても切妻の基本形の繰り返しである。
屋根の形が問題だった。アレグザンダーの考えは、最も簡素で基本的な切妻だったが、棟梁の住吉は強硬に反対、望ましいのは入り母屋だが、せめて寄せ棟にすべきだと主張した。日本に五人といない優れた腕と豊富な日本建築の経験を持つ彼には、切妻は単なる雨除けの屋根でしかなく、家の格を保つには寄せ棟以上が必要だとの思い込みがあった。
教員の意見は、二分した。アレグザンダーは、これは高校であって、凝った住居や料亭を建てるのではないと繰り返し強調していた。学校なら簡素を旨とするのも面白いのではないかとの意見もあり、結論としてアレグザンダーの主張通り、大講堂も含めてすべての建物の屋根が切妻となった。単純だがスッキリした切妻のパタンに統一されたシルエットは、簡素で力強い。切妻は正解だったと思う。

もう一つの大きな問題は、大講堂の入り口である。一箇所にするか複数かで、意見が分かれた。一箇所にする難点は、多勢が出入りするので混雑するし時間もかかることだ。アレグザンダーからは複数のスケッチが提供され、ああでもない、こうでもないと、次々に示されたスケッチに異論を唱え続ける教員に対して、アレグザンダーは彼らが納得するまで付き合っていた。
正門から広場に入った時、正面池越しに赤い屋根の可愛らしいカフェテリアが見える明るい開放的な雰囲気を期待したい、右手間近かに、幅の広い石段で上る重々しい権威の象徴のような入り口があるのは、この広場の雰囲気からかけ離れることになろう。景観だけではない。大講堂といっても日常の学校生活の場であって、生徒はいつでも気軽に出入りする。入ることを拒否するようないかにも威圧的で重々しい入り口では困るのだ。
結局入り口は三箇所、両開きの木製の扉から入ると正面が板壁になっている小さな暗いエントランス・ホール、その左右から次の扉を開けると、二、三階に回廊を巡らせた大空間が目の前に開ける。広場に面した扉、エントランス・ホール、その先の扉という段階を経て、暗から明の大空間に導くというアプローチである。

「暗から明へ」というアプローチで印象に残っているのは、大分県立図書館の“暗い廊下を通って明るい閲覧室へ”というアプローチである。足元だけを照らす廊下の照明が良かったが、その後女性の来館者が転んで怪我をし、トップ・ライトの明るい廊下に改修され、設計者のコンセプトはだいなしになった。この大講堂のアプローチは印象的であり、大分県立図書館のアプローチのように簡単には改造できない。

それぞれの建物、施設を担当した教員のチームは、初めての基本設計の作業を楽しんでいた。アレグザンダーは各チームに、問題点は何か、解決の方法にはどのようなことが考えられるかなどについて説明し、彼らの質問には丁寧に答えていた。完成するまでの間、すべてのチームに目を配り、教員が充分納得するまで討議に参加していた。半端でなかった彼のリード無しに、文字通りのuser design は実現できなかったと思う。
こうして、基本設計は完成し、教員の各チームはそのままのメンバーで同じ建物、施設についての実施設計を担当することになった。

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