第 三 章(2)1億5千万円の闇手形事件を経て自前の新理事会発足 2)1億5千万円の闇手形発覚

都学事部訪問の帰り、東京駅の中央線車内で発車を待っている時、経理担当の多田昭夫が突然話しかけてきた。
「沖田理事長が大学の金子理事長宛に振り出した1億五千万円の手形があるのをご存知ですか?」
「何ですか、それは?知らないな。」
「金庫の中にあって気になっていたのですが、来月3月末が期限になっている手形なのです。」
寝耳に水だった。大学に振り込まれたら、盈進の虎の子である2億円の定期預金などたちまち底をつく。意外なできごとには慣れていたが、これはAクラスである。
学校へ戻ると、多田がコピーを持ってきた。話は本当だった。分離・独立をした時に切られた手形で、3年後の来月が期限になっている。3年期限の手形はそれだけで異常に過ぎるが、形式はととのっていて法的には有効のようだ。この3年間、理事会で話題になったことはないので、沖田を除いて誰も知らないのはほぼ間違いない。

ヒゲは勿論知らないということで、振出人の沖田は後にまわして、千葉県柏市の神立の自宅を訪ねた。彼が言うには、金子昇と沖田の間で何かありそうだとは感じていたが、まさかこのような手形を切っているとは考えもしなかったとのことだった。大学の理事会も全く知らないはずだと言う。両理事会が知らないところで、金子・沖田がこの手形を作成、交換していたことがわかった。
商品の裏付けのない金融手形、両理事会とも全く知らない正真正銘の闇手形である。沖田は振り出した本人なので、金子昇と話をするのは無理だろうと言う。最終確認のために、初めて東上線沿線の沖田の自宅を訪問、この手形の話を切り出した。最初の一言は、「とうとうバレたか。」だった。
「確かに、私が署名して金子理事長に渡した。事情はあるが、どうしようもなかったのだ。」
「このまま銀行に回されたら、大変なことになりますよ。」
「それで困っている。どうすればいいと思うかね?」
無責任にも程がある。
「沖田さんは当事者です。金子理事長と会って話ができますか?」
「それは無理だ。金子さんから出た話だから、今さら無しにするはずがない。」

沖田から、この件に関する一任をとった。弁護士をたてて解決を探るしかない。
理事会の決定で、学園の弁護士と大学側の弁護士と協議することになる。先方は、いかにも遣り手だが話の分かる弁護士で、最終的に三千万円で盈進がこの手形を買い取ることになった。経理処理としては、法人の分離・独立に際して大学からの寄付を過小評価していたので、3年たって、大学との協議でこれを見直すことにしたという形式をととのえる。盈進側は思わぬ支出となったが、平和的に解決できてホッとした。
大学理事会では、「名目など無くても、貰えるものならさっさとその手形を銀行に回したらどうだ。」との強硬な意見もあったという。民間の法人なら理由のない入金など考えられないが、学校法人の理事会がいかに通常の市民感覚を失っているかがわかる。

事を荒立てず迅速に処理するという方針で闇手形を解決したが、考えてみると、双方の学校法人の理事会に謀られていないという寄附行為違反もさることながら、このケースは表に出れば、背任もしくは横領容疑となる刑事事件である。金子昇も理事会にはかっていない責任があるのにこの理由不明の大金を大学に入金するとなると簡単ではない。
不渡りになるリスクはあるが、この件は表に出すべきだったのであろう。直接警察に被害届を出すつもりだと話すことで、解決出来たのではないかと思う。金子昇や大学の他の理事らも、刑事事件になるのを承知でこの闇手形を銀行に回すはずはなかったのである。
都の学事部は、大学からの寄付の再評価という解決そのものは承認するしかなかったが、こっぴどく怒られた上、今後2度とこのようなことはしないよう約束させられた。

この件については、合同教職員会で沖田が、盈進の分離・独立の条件として金子昇に強要されたものだと説明したが、納得は得られなかった。3千万円の損失を学園に与えたこともあり、理事長としての責任を追求されたのは当然であった。
彼としては、盈進の移転によって上福岡の開発を実現するという生涯をかけた目標があり、そのためにも学校理事長の地位を捨てるすてるわけにはいかない。たまたま6月の理事会の改選期になっていたが、策を弄して理事長にとどまろうとした。教職員の声を背景に学校内部の理事は彼を事実上理事長として認めないと宣言し、形だけの理事長は、ほとんどの教職員に無視された。理事長と言っても実質的には何もできない状況が続く。沖田にとっては、上福岡開発のために学園理事長という肩書が必要だったのである。

闇手形騒動は、大学理事会での金子昇の立場をも揺るがすことになる。沖田の盈進移転・上福岡の開発どころではなくなったのであろう、東武鉄道、金子昇、沖田間の三者での約束は、あっさり反故にされた。盈進の移転も周辺の開発計画も、すべて瓦解した。
既に東武からは東上線新駅の設置についての確約を得ていて、夢の実現を目前にしての破局である。沖田は、命綱を絶たれたショックのあまり糖尿病の悪化もあって寝込んでしまった。この時ヒゲは、病院に見舞いに行って彼を激励している。孤立無援で長年の夢が瓦解し、再起不能になりかかっていた沖田は、この時のヒゲの見舞いがよほど嬉しかったらしい。その後の妨害活動の主役ではあったが、事あるごとに、「この時の酒井田先生の励ましがなかったら、私はどうなっていたかわからない。どのようなことがあっても、先生への尊敬の思いは変わらないし、その恩義は一生忘れない。」と繰り返していた。金を追う上では権謀術策をめぐらし倫理観とも無縁に見える彼の見せた、根は悪くない好人物としての一面である。
これを機に政治家を目指す道に進もうと、秋、十月の理事会で、沖田は突然理事長を辞任した。後任に亜細亜大学法学部教授の鈴木薫を推薦し、ヒゲもそれを支持した。

「第 三 章 盈進の分離・独立で新法人の成立へ(2)1億5千万円の闇手形事件を経て自前の新理事会発足 3) 学内理事の参加で自立の新理事会発足」へ
目次に戻る