第 三 章(2)1億5千万円の闇手形事件を経て自前の新理事会発足 3)学内理事の参加で自立の新理事会発足

鈴木薫理事長が就任したことで、実質的に大学の紐付きから初めて解放された新理事会が出発したのである。
鈴木は、小柄でチェックの派手なジャケットを好み、気さくで話し好きな人柄で、学者にありがちな気難しさは全くない。早稲田大学の雄弁会出身で演説が得意、まとめ役としては極めて有能だった。理事長への就任を快諾、教職員を前にして、「この学校を支えてきたのは、酒井田先生です。私は一時的なリリーフとしてお引き受けしました。いつでも先生に理事長をお返ししますが、在任中は皆様のご協力をよろしくお願いします。」と、さわやかな就任演説だった。理事会では、議長としてそつのない司会で討議を進め、手際よく議事を処理していった。

もう一人の亜細亜大学からの理事は、理事会では寡黙だが求められると適切で良識ある意見を述べていた。その軽い語り口がかえって人に良い印象を与えていたようだ。絶えずメガネに指を当てる癖に彼の神経質な一面が窺えたが、温厚な外見からは、後に妨害活動の主役のひとりとして無法・暴力に走るとは、当時誰も思い及ばなかった。

学園側について言えば、次々とふりかかってきた難題を、終始ゆるがぬ団結の力で乗り越えてきた盈進学園の共同体的な体質は、生き続けていた。佐藤謙助委員長(盈進小学校)以下の組合執行部と学内理事の間には、学園を守り教育現場を大切にするという目標を共有する盈進共同体特有の深い信頼関係があった。それが、その後始まった長く苦しい妨害活動との闘いに勝利する上での、かけがえのない支えだったのである。

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