第 三 章(2)1億5千万円の闇手形事件を経て自前の新理事会発足 1)人は「物と金」で動く ―ディベロッパー沖田の哲学

沖田は熊本県八代の出身で陸軍経理学校卒業という経歴、東武鉄道のダミーとして埼玉県の調整区域の土地を買いあさっていた開発業者である。土地の一部を寄付することで大東文化大学の理事になっていた。東部鉄道との間では東上線上福岡周辺に新駅を作る約束ができており、新設高校を基軸に住宅、商店街としてその周辺を開発するという計画を持って金子昇大学理事長に接触していた。盈進学園を分離・独立させるとの話が出るや、渡りに船とその理事長にしてほしいと金子に依頼する。既存の高校の移転なら、新設よりはるかに手間も金もかからない。金子としても、面倒なガソリン・スタンド問題を抱えている盈進には誰も行きたがらないで困っていたので、沖田に盈進高校の移転と上福岡の開発を任せると約束して、盈進に理事長として送り込んだのである。

彼は、就任すると全教職員を前に、自分の役割は盈進高校の上福岡移転であると演説した。新法人としての分離独立と同時に突然の移転話で教職員は面食らったが、近代的な新校舎の周囲に新たな住宅地と商店街が出現し、盈進の明るい将来が約束されているとの沖田の大風呂敷を、信用する者など一人もいなかった。

彼が学校を知らないことはすぐに明らかになった。教職員と仲良くなるのが大事だと、教員の歓心を買うための試行錯誤を繰り返したのである。就任早々、幹部教員が理事長室に招かれた。自分は一滴も飲まないのに、キャビネットに高価な洋酒が並んでいて、教員はいつでもここに来て自由に飲んでくれと誘うのには驚いた。勤務中の飲酒がやばいなど全く気が付かないのは見上げたものだが、わざわざ理事長室に飲みに来る教員がいると思っているあたりが、まともではない。全教職員に夏のお中元が届いたのにも驚いた。理事長からお中元など、日本の私立高校では前代未聞であろう。
大晦日、突然学校に現れた。70歳を超える伊藤千一用務員と鷺野谷トシ用務員のそれぞれに、用務員の苦労をねぎらいたいとのことで、「よろしく頼む。」とそれぞれに現金2万円を渡したのである。根拠不明ではあるが、「人は物と金で動く。」という地上げ屋哲学であろう。元日を明日にしての大金であり、二人共喜んで受け取った。依然として構内巡回の授業視察で気に食わない教員を密告する伊藤用務員の楽しみは続いており、酒井田主事には相手にされず丸山理事長はいなくなって困っていたので、これを期に密告先を新理事長の沖田に切り替えたのは言うまでもない。他方、“ばあさん”と呼ばれるのが嫌いで皆に“おばさん”と言わせていた鷺野谷は、伊藤のしない用務員の仕事を黙々とこなしていた。

沖田はいつも、糖尿病を気遣う奥さん手作りの弁当をジャーに入れて持ち歩く愛妻家だが、地上げ屋の粘り強さに加えてあらゆる権謀術策を弄する。暮れのチップも、つい地金が出たのだが、金に物を言わせる開発業者の手口は学校にはなじまなかった。
彼の話だと、理事長就任祝いだと30万円持ってきて「先生のためなら命をかけます。」と近づいてきた教員がいたとのこと。「教員としてはかなりおかしいので距離を置くつもりだったが、‘命をかける’とまで言ってくれたのではあっさり袖にもできないからねえ。」と困惑していた。この教員は、後にプロジェクトに対する妨害活動の後半、無法・暴力の実力行使面で活躍する。

盈進新理事会には、沖田理事長とともに大学の財務担当理事神立時三郎が送り込まれたほか、大東文化大学から亜細亜大学法学部に移った鈴木薫教授、同じく亜細亜大学経営学部教授が理事となる。今まで大学理事会に参加させなかったヒゲは、盈進の生き字引きであり、大学としても、盈進小学校、中学校校長の肩書きで理事にせざるを得なかった。これに、幼稚園長である自衛隊出身の理事が加わった。
形式的には大学から分離・独立したが、この時点では、いずれ大学の息のかかった理事会だった。新たな変化としては、ヒゲの考えを神立が支持したことかと思うが、教員から、萩原一雄(後に東野高校校長)、倉橋治(後に盈進高校校長)が理事に加わり、神立を後見人とするのを条件に、私が理事として財務を担当することになった。大学理事長の金子にとっては組合幹部だった教員を理事にするなど考えられないことだったが、理事長の沖田は上福岡の開発以外のことには一切関心を持たない。柔軟で懐の深い神立と彼に信頼されているヒゲとの協議が、理事会への教員参加を実現する鍵となった。

金子昇はヒゲが当然盈進高等学校校長になるはずだったのを嫌い、金子勝志、毛利を次々と送り込んだが、金子勝志は盈進の伝統となっていた共同体的体質に馴染めず、毛利も盈進と大学理事会の板挟みになって辞任、分離・独立後三年近くになってヒゲが盈進高校校長に就任した。
盈進教職員の共同体的体質は、丸山時代の劣悪な待遇と教育環境、大東文化大学への身売り、三共闘としての大学理事会との闘いを通じて培われたものである。お互いに、いかなる困難な状況の下でも教育の現場を守り団結の力を信じて危機を乗り越えてきた自信が盈進独自の共同体としての雰囲気を創っていた。
盈進の教職員は、日本の伝統的な村落共同体に通ずる良い意味での共同体の特質を備えていたが、それは、内人、外人を峻別し、外からの外人の攻撃に対しては徹底して内人を守るところに現れていた。反面、それは外から入ってきたものがこの体質に同化して内人にならない限りいずれはじき出されることにもなっていた。弱点としては、組合執行部との信頼関係を基軸に内部にいて仲間とつながっている限り自分たちの安全は保証されているとの心情が、積極的な個々人の自立、独立、責任感を弱めていたことかと思われる。

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