第 三 章(1)法人分離で沖田嘉典理事長就任

盈進幼稚園前のガソリン・スタンド反対闘争に関して、大学理事長の金子昇は何事についても無策なのである。その上「闘い」と聞くだけでアレルギーを起こす。
「とにかくよく話し合って、くれぐれも乱暴なことはしないように。何しろ私らは学校だからね。」と繰り返すだけだった。盈進の組合は過激だと思い込んでいたので、とにかく事件になるのを避けたい一心だったと思う。
盈進は地主との交渉がまとまらず、実力でガソリン・スタンドの建設を阻止すると決定したと聞くことで、大学理事会は盈進組合の過激な姿勢が明確になったと判断する。その行動が大学・一高組合との三共闘に拡大するのも必至だと狼狽したのである。反対闘争が一層長引きそうだとの見通しをもっていたので、これ以上待つべきではないとただちに盈進の分離に着手した。地主の断念で、ガソリン・スタンド反対闘争は勝利に終わったが、大学理事会はただちに、盈進学園切り離しの具体化に動いた。

先ず、水越盈進理事長を解任、円満に分離を実施するべく大西の友人である塩脇幸四郎という東京中野で古本屋を営む人物を理事長として派遣してきた。頭髪が薄くなっている茄子頭の一見しょぼくれた温厚そうな人物に見えるが、他人の言動の細部まで見逃さない鋭いセンサーを備えて人と気軽に接してくる。戦前、中野学校の俗称を持つ特務機関員養成学校、いわゆるスパイ養成学校の出身、いかにも好人物で信頼できそうなうわべが要注意である。中国人も顔負けの中国語を操り、戦中を通じて中国では中国人として生活しており、日本人とも一切会わないまま日本語も一言も使わなかったという。割引して聞いても怪しさ満載である。戦時中の経歴のせいで中国への入国が拒否されていたが、「政権が代われば何とかなるでしょう。死ぬときは中国で死にたい。」が口癖だった。

分離・独立に関して組合が要求する条件はすべて受け入れ、大学理事会の了承も得たと嘘をつき、それを真に受けた組合との交渉で合意を得た上で、同じく大学から派遣された沖田嘉典理事長と交代、新法人としての学校法人盈進学園が発足した。
沖田によると大学理事会では組合の要求した条件など何一つ聞いていないとのことで、塩脇の嘘がわかったが、既に彼は行方をくらましていて後の祭り。もっとも、独立はむしろ組合の望むところであったし、大学の寄付金で当分の学校運営は保証されているのを確認できたので、塩脇の追求は諦めた。

「第 三 章 盈進の分離・独立で新法人の成立へ(2)1億5千万円の闇手形事件を経て自前の新理事会発足 1)人は「物と金」で動く ―ディベロッパー沖田の哲学」へ
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