第 二 章(6)ガソリン・スタンド反対闘争

盈進は当時、大きな問題を抱えていた。地元の名家の大地主の当主が、5メートルの道路を隔てて幼稚園前にエッソのガソリン・スタンドを建設しようと動き始めていた。毎日の車の出入りで園児が危険にさらされると学園は建設計画の中止を申し入れたが、にべもなく拒否された。この反対闘争は、1年近い長期にわたったが、母親たちの熱意に動かされて多数の教員が参加することで、全学園が団結する。
教職員の8割以上が組合に結集していた盈進学園では、誰もが、団結して戦うことでそれまでの度々の危機を乗り越え教育現場の環境を改善してきたことで自信を持っていた。丸山理事長時代、大東文化大学付属時代を通じてそれは変わらなかった。大学・付属一高組合との三共闘で公務員給与体系を基にした給与体系の成立にこぎつけるまで、盈進の組合は精神共同体とも言える仲間の団結を育ててきた。これが、幼稚園のガソリン・スタンド反対闘争で改めてその力を発揮出来る原動力となったのである。
合法で守られているガソリン・スタンド建設計画を、園児を危険に晒す不正義は許さないとする母親らの倫理的な目標を教職員が支持し、その連携による1年近く続いた長い反対運動になった。
実は、後に始まる新キャンパスの盈進プロジェクトが、現行の建築界の潮流に抗して多くの困難を解決しながら完成できたのは、このガソリン・スタンド反対闘争で示された、目標実現にとって団結がいかに重要かを教員の誰もが体験していたからだと思う。

通産省の規制は各ガソリン・スタンドが一定の距離を置くための「距離規制」であって、周囲の環境とか、まして園児の危険などは一切考慮していない。
建築公害に詳しい柏木暁から紹介された弁護士の説明は明瞭だった。建設する側の計画は一般的には合法なので、これと闘うことになると非合法にならざるを得ない。相手が合法である以上徹底抗戦は無理なので、最後は例外なしに、条件をつけての和解に落ち着くという。
法でものごとを考える弁護士が非合法を避けたがるのは当然なのだろう。ガソリン・スタンド建設の場合、規制は、前述のように各スタンド間の「距離規制」であって、園児の危険等は一切考えていない。高度成長を目指していた当時の日本の産業振興策に沿って作られた法律は、環境問題や社会での倫理的視点を持っていなかったのである。環境が大きな問題になっている今日、それへの配慮を欠いたこのような法律は疑問だと思う。法そのものが持つ問題点を考えれば、合法だから園児を危険にさらしても良いとはならないだろう。園児の危険を防ぐ為の反対運動が、社会的な支持は得られても、法の面では非合法になるということが問題なのである。法がおかしいのだ。

この場合も、法の論理がどうであろうと、幼稚園児の生命の危険を顧みない計画は、倫理的・社会的に許されないとの幼稚園の父母の姿勢は明確だった。自分たちの子供が危険に曝されるのを防ぐのは最優先事項である。法がどうであろうと、この最優先事項に優先することは許されないというのである。正義や社会的倫理が法より上だとの理屈は、普通男性は考えない。男性は一般に法の是非を問う前に遵法精神が強いのである。幼稚園の父母は違った。彼女らに、一般的な弁護士の理屈を受け入れさせるのは不可能だった。

その典型的な実例が、全国的にポリオが猛威を振るった時、法と行政手続きに基づいて即効性のあるソ連製生ワクチンの使用を認めなかった厚生省に対する母親たちの対応であった。
法に縛られて時間がかかっている間にも、毎日ポリオに感染した子供たち次々と死んでいく。ある日、子供の生命の危機に怯え怒り狂った多数の母親たちが大挙東京霞ヶ関の厚生省を襲い、終日、省内を占拠、担当官僚に詰め寄って生ワクチンの承認を迫った。不法侵入、無届けデモ等、警察が介入する根拠はいくらでもある、同じことを労働組合がやったらたちまち一斉検挙だが、多数の母親の集団を前にしては、警察を呼ぶこともできなかった。
子供たちの生命の危機が迫っている時、問題は合法、非合法の次元を超えるのであって、倫理にかなう社会的な要請が多数の支持の下に結集すると、その力は否応なしに事態を動かすことがある。この時も、急遽、厚生省は生ワクチンの取り扱いを見直し、その輸入と服用の承認によって多くの子供たちの生命が救われたのである。

ガソリン・スタンドの件でいつも念頭にあったのは,この生ワクチンのケースだった。立地に当たって周囲の環境への配慮、まして園児の生命の危険など問題にもしていない通産省の距離規制や建築関連法を以て合法、非合法を説くのは、見当違いではないかと思われた。周囲の環境、危険への配慮を全く離れて制定される法は、端的に言えば机上の空論となる。実態を見ていないからである。
一見暴論のようにも聞こえるが、子供を生命の危険から守る大義の下で闘っている母親たちにとって、合法か非合法は問題にもならない。とかく理屈に走る男性と違って、女性、特に母親の怖いところである。あっさり言えば、彼女たちは、弁護士の法論理に基づく視点とは全く別の角度からこの問題を見ていたのだ。
金儲けのためなら幼児を危険にさらしても構わない地主は、彼女らの天敵である、天敵の企みは、それが合法であろうと不正である、不正を阻止する行動はことごとく正義なのだ。母親としての直感からきているものと思うが、「合法か非合法か」を判断する「法」の論理に対して、倫理面での「正義か不正義か」を問う論理が対置されていたのである。モラルは「法」の外にあり、「法はモラルを裁けない。」のだが、母親達はこの原理を的確に理解していたと思う。倫理に根拠を置く「人」の判断は、時に法に優先する。

母親たちは、何でもやる気になっていたので、非合法であろうと徹底的に実力阻止で行くという方針はそのまま支持された。
東京通産局への抗議には貸し切りバスで40名あまりが参加し、庁内を走り回ってビラを配布、局長不在のため次長を取り囲んで局長の現地視察を要求した。四日市コンビナートの大事故でも現地に出かけたのは担当課長であり、名古屋通産局長は行かなかった、と渋っていたが、母親たちの迫力が押し切った。仮に男の労働組合員が同じ行動を取ったとすれば、たちまち警察に通報され事件となるが、女性の集団には手を出せない。数日後、お忍びを条件に局長が来校、「やはり幼稚園の目の前はまずいな。」との感想を述べていたが、法以外に規制の根拠を持たない役所の力には限界がある。結局は、自力での阻止以外にないと誰もが承知していた。
地下タンクの搬入を監視するために、教員と幼稚園の母親たちが交代で行う泊まり込みの体制に入った。
夏の真夜中、泊まりの教員が寝ている間に地下タンクが敷地に搬入されたのを知り、母親たち数名が駆けつけた。即座に抗議しようと午前3時、近くの地主の屋敷に行くと古くからの大地主らしい厳重な門はがっちり閉ざされている。時刻のこともあってたじろいでいる教員を後に、母親の一人は先頭に立って生け垣を強引にくぐり抜け、屋敷内に誘導してくれた。玄関の戸を思い切り叩く。地主が応接間に通したのも、彼女の勢いに気押されたからである。明け方の不意打ちに度肝を抜かれ、タンクを一時撤去することになる。これを機に、泊まりの教員を二人にして監視体制をさらに強化した。
実力阻止の方針はきまっていても、「合法」を相手にする長期の闘いでは先の見通しが立たない。ともすれば重苦しい空気に包まれがちだが、若い幼稚園教諭と母親達はお互いに仲良くなるのも早く、いつも明るい談笑が絶えなかった。

しびれを切らした地主は、200日目の早朝ガードマン数人の護衛でクレーン車に地下タンクを載せて持ち込みを強行しようとした。タンクが青梅街道を学校に向かっているとの急報を受けて母親たちが駆けつけ、教員とともに幼稚園の机、腰掛けを歩道に積み上げてバリケードをつくって対抗した。それでも、クレーン車で突破しようとし、ついに教員らとの間で乱闘になる。音楽の教員鈴木睦彦は消火栓を解除して、幼稚園舎の屋根からガードマンに放水を始めた。パトカーが到着したのは、日本テレビ始め数社の放送車より遅かった。晴天に傘をさして放水で濡れるのを避けている光景は、テレビでそのまま中継されている。このビデオが証拠となり、後で消防署に呼び出されひどく叱責された。
地主と学校側の責任者である私は、そのまま武蔵野警察署に同道を求められる。事情聴取である。この間、テレビ各社の取材には、あらゆる状況に通じていた幼稚園教諭の小川紀代美が冷静かつ詳細を極めた説明で対応した。テレビ各社に取っては、思わぬ昼のニュース種になったのである。武蔵野署では、現状での凍結を要請される。地主も承諾せざるを得なかった。

最終的に、地主は建設を断念、この長い反対闘争が終わったが、母親たちと教職員の得たものは大きかった。長期にわたる粘り強い反対運動、貸し切りバスで東京通産局に入り込み母親たちが通産局次長を取り囲んで、局長の現地視察を承諾させるなど、子供たちの危険を避けたいという明快な倫理的目標に支えられた彼女らの正面戦争が、見事に「合法」を阻止したのである。
その後、幼稚園教諭の津田(後に村上)幸子は退職に際して「今回のガソリン・スタンド反対闘争で私が得た貴重な宝物は、団結の力でした。」と挨拶し、教職員、母親たちの拍手に包まれていた。誰もが同じ思いを共有していたからだ。
そこにできていたのは、共通の目標での連帯が作り上げた盈進特有の精神共同体と言える。これが盈進の伝統となり、その後多くの苦しい状況を超えて新キャンパスを完成させた原動力となったのだと思う。

「第 三 章 盈進の分離・独立で新法人の成立へ(1)法人分離で沖田嘉典理事長就任」へ
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