第 一 章(2)劣悪な教育環境に許容を越えるクラス定員

中学時代に勉強をしていなかったことを除けば、ほとんどが素直な良い生徒たちである。中に乱暴なのもいたが、外のチンピラ、ヤクザとはつながっていなかった。
しかし、施設環境はひどかった。狭い運動場、水洗でないトイレ、戸田建設の雑な工事で屋上からの雨漏り、外壁の剥離・崩落、内部のモルタル仕上げにヒビが入ってどの廊下も清掃しようがない等々、劣悪な施設は、当時東京でワースト10 には間違いなく入っていたはずである。
廊下ひとつとっても、つい20年前まであった木造2階建ての校舎では、雑巾がけで板張りの廊下を綺麗に磨いたのが懐かしい。壊れ果てたモルタルの廊下では、きれいにしようがない。安手のRC造は、荒れるのも速いのである。しかし、生徒らは、この環境の中で、文句も言わずに明るい学校生活を楽しんでいた。教員は、当然それに対応すべく必死になっていたと思う。この頃の貧しい施設環境がバネになって、その後の新キャンパスに対する夢が生まれていったのだと、今にして思う。
財布を握っている理事長夫人、丸山とくは、損益計算書と貸借対照表の区別を知らない。経費としての給与も資産になる設備投資も、とにかく支出はすべて嫌いなのだ。トイレの水洗化はおろか外壁の補修も屋上の雨漏りも、こと施設に関する支出は全てダメ。「将来給与は上げるし、施設も良くなる。それまでの辛抱をお願いしたい。」という理事長の言葉をまともに信じる教職員は、一人もいなかった。

他方、高校生生徒数は三学年で1,600名になり、素行不良の退学者数の増加で辛うじて60名のクラス定員を守っている状況だった。60名のクラスというのは、教育可能な定員をはるかに越えている。出席を取るのにも時間をとられ、机と腰掛けで教室が埋まっているので、机の間は歩くこともできない。全体を静かにさせて授業に集中させるのは余程のベテラン教員でも大仕事だった。教員室との往復に時間を取られるので、10分の休み時間では、お茶を飲むどころかトイレにも行けない。すし詰め教室と劣悪な施設がセットになり、教育の現場は教員にとってこの上なくきついものだった。我々教員は、その中でも明るさを失わない生徒等の姿勢に励まされていたのである。

厳しい施設環境の下でも生徒が明るく学校生活を楽しんでいた大きな要因に、酒井田の創設した個性学習講座がある。創立者丸山鋭雄の教育理念である個性伸長をカリキュラムに具体化したものだ。学習を、基礎学習、個性学習、発展学習の三段階に分け彼はこれを三段階学習と名付けた。
基礎学習では、国語、英語、数学、理科等の時間数を減らす代わりに内容を思い切って厳選する。その分の時間を個性学習に回すのである。発展学習は、クラブ活動、生徒会活動等生徒の自主的な活動になる。個性学習は、三段階学習の中核であって、午後の学習はすべてこれにあてた。教員が各々自分の得意なテーマを自由に設定し、生徒はそれらを自由に選択出来るというものだ。好きな学習なら、興味を持って打ち込める、それが学習全体に対する興味に繋がり、好きなことをやりながら学力をも上げいくことを期待したのである。時間としては、一講座90分とし、大学並みの時間を確保した。
生徒にとっては初めての経験であり、自由な選択ができるという魅力は大きかったようだ。どこの高校でもやっていないユニークな試みに、教員も生徒も積極的に取り組んでいた。自分の意志と無関係に受講しなければならない従来の授業と違って、好きなことに打ち込めてそれが単位になるのだ。他校にはない講座で、午後の個性学習の時間は大学と同じだというところが、嬉しかったようだ。強制を嫌い自由を好む年代だけに、この個性学習の果たす役割は大きかったと思う。
個性伸長の教育理念と個性学習講座は、木造低層主体のキャンパスを設計するにあたって、絶えず設計者、教員の考えの背景となっていた。

時間講師も含めて教員数は100名を越えていた。給与体系は無い。誰もがヒゲとの面接で個別に給与額を決められていたので、教員相互の間ではお互いにいくらもらっているかわからない。需要供給の原則が働き理数系は金額も多いらしいとの憶測が飛び交うだけで、疑心暗鬼から来る相互不信は教育現場の勤労意欲を止めどなく低下させていたと思う。
今では信じられないことだが、低賃金を補うためと称して、丸山理事長は、待遇改善にはまったく手をつけないまま、幹部教員らに在校生の家庭教師を斡旋していた。一部の教員は、自分が授業を持っているクラスや担任をしているホールームの生徒達の家庭教師をしていた。普通の感覚なら他の生徒、父母から“えこひいき”の疑惑を持たれても止むを得ない。疑惑を受けたとしても、実際に自らを厳しく律してそのような誤解を生むようなことは避けているので問題はないとの弁明も聞いたが、「貧すれば鈍する。」で、モラルの低下を正当化することはできない。
幹部教員のモラルの退廃が自分の教えている生徒の家庭教師を正当化していた口実の下で、家庭教師は花盛りだった。気がつくと殆どが、これで生活を支えていたのである。
まさか幹部教員はそのようなことはしていないだろうと思っていたのが甘かった。知らぬが仏で、彼らの目の前で“アルバイト批判”を始めてしまい、気まずい空気をつくってしまったようだ。弁明になっていない正当化の説明を聞いたのは、この時である。

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