第 一 章(3)組合への結集・ボーナス期のクラスでの現金徴収をやめる

一部の教員の集まりから始まった水面下の組合活動が進められていたが、劣悪な労働条件と教育環境の改善を目指すことを掲げ急速に組合員を拡大、大多数を組織した時点で私学単一労働組合盈進学園分会を名乗って公然化した。
第一回の団交で組合として経営者と対等に交渉する立場を確認した。相手は、丸山理事長とヒゲである。教育現場を守るのに教職員の待遇改善は不可欠だという組合の姿勢を示し、それを要求する過程で、お互いの給与を公開するところから始めた。理数系の教員も意外に低いのがわかる。これだけで、教育現場の風通しは格段に良くなった。

それまで、年間賞与は夏と冬の2回、各1ヶ月で、6月と12月の初めにクラス担任が封筒に入れた現金を生徒から集めていたのである。生徒から「はい。先生のボーナスだよ。」と封筒を渡されて思わず赤面したのは私一人ではなかったと思う。今の人には信じられないだろうが、これが当時の現実だった。
団体交渉を通じて、給与の改善も進み、ボーナスを生徒からその都度徴収する時代遅れの制度も撤廃された。元々これは、ボーナスの支給などとんでもないと拒否する丸山夫人の強硬姿勢にお手上げとなったヒゲが発明した苦肉の策だったのである。労使の間に入って丸山夫妻の説得に努めたヒゲは、なんとか対立の尖鋭化を和らげながら教職員の待遇を引き上げようとした。

それまでは、低賃金を補うために理事長の勧めで担当しているクラスの生徒の家庭教師までしている教員もいたが、次第に礼節を知るようになる。組合公然化以降、待遇面での成果を得ていくことで教員の自信も芽生え始め、組織率は90%を超える。お互いの給与の公開を機に相互不信は一掃され、職場の空気は急速に明るくなっていった。皮肉なことだが、逆境は却って執行部への信頼を軸に教員の団結を固めたのである。

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