第 一 章(4) 日常性と調和

「ハレ」と「ケ」がある。「ケ」が日常生活、日常性を示すのに対して、「ハレ」は、日常生活と離れそれを破るものとして現れる。
敗戦前までの日本の農村の日常生活は、早朝から深夜までの過酷な労働と低所得による粗末な衣食住に明け暮れていた。特に水田に恵まれない地域では、一段と厳しい毎日の連続であった。意欲も体力も衰えていくのは避けがたい。日常生活が、枯れて行くのである。「ケ」が枯れる状況を、「ケガレ」というが、これを一時的にでも解消し意欲を取り戻す、すなわち「ケガレ」を払うための刺激としての行事、行動が、「ハレ」である。「田植え歌」等は、単調な仕事にリズムを与えるためのものだが、お盆の墓参りを始めとする諸行事に並んで、最大の「ハレ」の舞台は、「祭り」であろう。いずれ、「ハレ」では、日常性を破る非日常性がその最大の特徴である。
これに対して、日常生活、日常性にとって最も大切なのは、地味ではあるが安定している毎日の暮らしにおける「調和」である。建築について言えば、市街地、田舎を問わず、旧宿場町で道に沿って両側に並ぶ昔ながらの建物は、相互に調和を保つものとの不文律があった。その通りのあるいは地域特有の雰囲気は、住民にとって伝統的な文化そのものであって、これを壊すような建物は建たなかったのである。個々の建物はそれぞれ違っても、集落、あるいは地域全体の雰囲気との調和は必ず守られていた。

個別の建物においても、商店、住まいの違いはあるが、それぞれの建物の庭、玄関、座敷、茶の間、台所、それらをつなぐ廊下などのことごとくが間取りは当然のこと、伝統と時代の流れに対応して調和のとれた世界を作り上げていた。建築の作法と言っても良い。建設にあたっては、施主も棟梁もこの作法を心得ており、型破りが入り込む余地はなかったのである。外の環境との調和、建物内部の、作法に従った間取りとそれに調和した建具、造作・・・・・。地味ではあるが静かな日常生活を送る上で、建物、特に住まいでは、調和は不可欠だったのである。

アレグザンダーは、このキャンパス設計にあたって最も大切なものは「調和」だと繰り返し強調していた。周囲の環境との調和、キャンパス内での建物、施設相互の調和である。体育館の幅を双方に二メートルずつ広げてほしいとの教員の申し入れを持ってバークレーにアレグザンダーを訪ねた時、初めて彼がボール紙で模型を作り、絶えずこれで建物相互の調和をチェックしているのを知った。出かける前は、このくらい広げても問題などないはずだと考えていたが、模型をひと目見て、それは無理だとわかった。たった二メートルずつ広げた体育館の模型を敷地に置くと、他の建物との不調和は歴然としていた。その変更は全体の設計を一からやり直す以外にないと、誰が見てもわかったのだ。

祭りなどの「ハレ」にあってはあえて調和を崩すこともあるが、毎日をお祭り気分で過ごすことはできない。日常生活での調和の重要性を忘れ、最近では、好んで調和を乱すアクセントを前面に出そうとする住宅が目立つようになっているが、そこには、日常生活のあり方についての基本的な誤解があると思う。
学校は、教師、生徒がほぼ昼間のほとんどをそこで過ごす、生活しているという意味で、建築としては“住まい”に最も近い。従って、当然、そこには“住まい”の作法があり、特に調和の重要性に最も気を使わなければならないのだと思う。外部環境と、キャンパス内部における建物相互のボリュウム、デザインにおける調和が大切なのである。

外部環境についていえば、まず、このキャンパスが狭山茶の生産地として、周囲が一面緑豊かな茶畠だというこの地域特有の景観がある。キャンパスの敷地は、県道を境に十六号線の谷間に向かってなだらかに下っていく茶畠の斜面だが、そこに立ち上がるキャンパスは周囲の景観と調和するものでありたい。木造低層主体のキャンパスがその解答だった。木造の体育館も敷地の北東の角に位置する武道場も、茶畠との調和を考えて建てられている。

目立つ大講堂はただひとつの重量鉄骨造、その大きな壁面は、柱と梁を黒で枠取りした残りの広い面積全体を周囲の茶畠にふさわしく、緑色に塗装している。日本の大構造の建物で壁面が緑というのは、おそらくこの大講堂だけかと思うが、出来上がると他の木造建築とともに、周囲の外部環境に対応しているのが不思議だった。遠くからでも目立つこの大講堂の黒と緑の壁面は、周囲の景観に馴染んで外部の茶畠との調和を保っている。

相互の建物のボリュームの調和について言えば、特に体育館、多目的ホール、武道場とその他の教室棟、管理棟、教員室棟などでのそれが大きな課題であった。毎日ここで生活する生徒・教職員にとって、建物相互の調和が取れていない、いわばアンバランスは、致命的である。それは、このキャンパスが求めてきた、落ち着いてくつろいだ雰囲気を破壊することになる。
ハレでは、破調がかえって効果的な場合もあり、ポスト・モダンの建築には、よくこのような破調が見られるのも、それが意図されているからである。しかし、繰り返すが、このキャンンパスが求めてきたのは日常生活での日常性であって、ハレではない。調和こそが大切なのであって、キャンパス内部の建物のバランスがとれていることは、その保証なのである。

ついこの間まで、武蔵野市の盈進高校で経験していた“六十人クラスの悪夢”を許さないように、教室の広さは、四十人収容を限度と考え、通常の四x五間の二十坪(約六十平方メートル)より狭くしてある。教室内の建具、机、腰掛けの配置、天井の高さ、間取り、入り口である玄関わきのクラス担任用教員個室等は、すべて慎重に調和するよう決定されている。
学校では、通常、管理棟が本部として重要視され、ひときわその権威を誇示するような威圧的な建物にしてある例が少なくないが、このキャンパスでは二階建ての管理棟はそれに続く平屋の教員室、校長室棟とのバランスを第一に考えてボリュームが決められデザインされている。要は、毎日の日常生活が、建物と外部環境との調和、キャンパス内での建物相互の間、建物内部での調和によって、活き活きとはしているが、しかし落ち着いて過ごせるように設計されている。

アレグザンダーは、このキャンパスでの学校生活が「ハレ」ではなく住まいにおける「ケ」であることから、日常生活に不可欠な調和を大切にしていたのである。

「第 一 章 キャンパスに求めていたもの、考えていたこと(5)豊かな装飾」へ
目次に戻る