第 七 章(2) 体育館の棟上げ

戦後最大の木造大構造となる体育館は、経験のないフジタにとって大きな難題だった。
林立する三十六センチ角四本に多数の三十センチ角のダグラス・ファーを柱にし、これに継ぎ目なしの長さ十四メートルの登り梁を組み合わせる構造を立ち上げるのは素材さえ揃えば充分可能だが、問題は、柱ごとに上に屋根の合掌部分のパネルを載せる方法だ。土台の上に柱を据え付け、これに登り梁を組み合わせるところまでは順調に進んだ。並行して、地上で合掌部分のパネルを組んでいったが、この仕事にも問題はなかった。
屋根を載せるのに使うクレーンとして、空中のレールを移動する船舶へのコンテナー積載に使う移動クレーンを使うことも検討されたが、結局、単体のクレーンを使って、一枚ずつ柱の上に組み込んで載せることになった。

十月、入間市の生徒募集現地事務所として敷地の東側県道に面して二階建てのプレハブを設置し、教員が交代で詰めていた。まだ水を入れていない池ごしに、太い柱の林立する体育館が見える。屋根がまだ載っていないこの構造体は、それはそれで堂々としていてなかなか見応えがある。

屋根を載せる日が来た。現場にクレーンが運び込まれ、朝七時に作業が開始される。中程の両側の柱の上に作業員が待機し、そこにクレーンで釣り上げた合掌部分のパネルをゆっくりと下ろしていく、作業員がパネルの両端を柱の上に持って行くが、ここでその両端を柱に組み込んで固定するのが大仕事なのだ。空中に浮いている重いパネルは、柱の上で揺れていて、作業員の間のやりとりで、クレーンのオペレーターは微妙な操作でパネルの下部を柱の真上にくるように動かすのだが、これがなかなかうまくいかない。工程としてはパネル下端の一方を柱の上に仮止めした上で、他方も慎重に仮止めする。その上で、少しずつ木槌で叩いて最終的に両端を固定するのだが、パネルは空中で浮いているので、仮止めに持って行くまでが至難の技なのである。それに風の動きも加わる。微妙なズレを解消できないままに昼の休憩となった。

午後再開したが、午前中と同じ微調整がえんえんと繰り返される。一瞬の成功に持って行くまでの緊張の連続を見ていて、彼らの集中力の持続に頭が下がった。この日は、朝の作業開始から詰めている教員らとともにずっと見守っており、途中からハイオも加わって作業の進行に見入っていた。
夕方近くになって、ついにパネルの一方の下端を柱の上に仮止めすることに成功し、下で見守っていた十数名の作業員らからどよめきの声と拍手が沸き起こった。ハイオは、”Historical moment.”(「歴史的な瞬間だぜ。」)と叫んでいた。
時間はかかったが、他方の下端の仮止めは容易にできた。これで、一枚のパネルの両下端が見事に柱の上に固定されたのである。結局、これに丸一日かかった。この作業がいかに技術的に困難だったのかを物語っている。一枚固定できれば、後のパネルを載せていくのは容易である。その日は、一枚で終わったが、翌日から次々とパネルの柱への接合・固定が進み、数日後には体育館の屋根全体が完成した。

後は、壁と床の内装だが、通常の体育館の内装と同じであり、フジタにとって難しいことは何もなかった。この日の作業は強く印象に残っていて、今でも、昨日のことのように
覚えている。

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