第 七 章(3) 管理棟のファサードと大講堂の内装

管理棟のファサードは、左官による漆喰仕上げのなまこ壁である。当時左官仕事らしい仕事はほとんどなく、ましてなまこ壁の注文など皆無だった。ということは、それを経験したことのある左官も皆無だったということだ。
広場に面する二階建ての管理棟のファサードは、階下の教員室棟へ続く出入口のアーチを持つ非常に大切な建物の重要な部分である。隣のホーム・ルーム通りとともに、広場の景観を決定する。このなまこ壁を左官の手仕事で仕上げることは、伝統を活かす意味でも他の作業に代えられない。

しかし、所長の提案は、厚い木の大きなパネルにプラスターを盛り上げ、なまこ壁の模様をつくることだった。面倒な作業ではあるが、本来のなまこ壁の作業に比べれば、大幅な時間と労力の節約になると言う。平面に模様を描くのとは違い、一定の作業量をそこへ集中して、立体的な装飾品を作成する意味はある。工期は迫っており、単なる模造品や絵でのごまかしではないとわかったので、この提案を受け入れることにした。
出来栄えは良かった。目に見えるところだっただけに心配したが、所長がなまこ壁にする意図を忖度し恥ずかしくないものに仕上げようとした工夫と努力には、感謝している。

大講堂の内装は、柱、壁、天井のすべてを漆喰で仕上げる。柱は黒漆喰、壁面は、赤と黒の躍動的なパタンを漆喰仕上げで描き出す。もちろん、すべて左官の手仕事になる。所長も、これらの作業がローラーでできるとは考えなかったし、特にフジタで黒漆喰の経験のある左官を手配するのは不可能だった。
山際電気に特注した三基の大シャンデリアを高い天井から吊るすと、清楚な緊張感をもつ長方形の大空間が現出する。それなりに、感じの良い雰囲気だったので、教員らも気に入っていた。左官による漆喰仕上げの作業は翌年に回し、現状のままで開校式を迎えることにした。

心配だったのは、漆喰仕上げのパタンを知っている教員らから、仮仕上げの白色でも、これはこれで、なかなか美しい空間になっている、これに漆喰仕上げを加えるなど不要ではないかという意見が出てくることだった。すでにその意見は広まっていたので、後に各論で述べているようにきちんと反論をした上で、開校の年1986年度の予算に大講堂内装費用として四千万円を計上しておいた。開校後の夏、川越の左官石黒重治と契約、見事な内装工事は翌年の夏、完成した。
後に述べるが、彼は一年かけて,一人で大講堂に住み込んでこれをやりとげた。このキャンパスでただひとつの日本の文化遺産として誇れるプロの伝統的な左官工事を残してくれたのである。

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