第 五 章(7) きつい年の瀬

元理事長は、12月半ばに、長谷川工務店への「売却無効」の訴訟を起こした。勝てる見込みはゼロでも訴訟を起こすのが彼の手口である。時間を稼げるからだ。その間、プロジェクトの遅れは出て来るし、大なり小なり影響は避けられない。訴訟は起こされる、工事期限は切迫していて提携するゼネコンを決めなければならないと、きつい年の瀬だったが、予定通り,アレグザンダーは、五社の工事所長候補とインタビューを始めた。
ゼネコン各社は、いずれも戦後このかた、近代建築だけを手がけてきており、木造低層の施設や木造の大体育館などは、彼等にとって初めてである。木造そのものについても経験は乏しく、「盈進プロジェクト」を具体化出来るゼネコンを選ぶのは,アレグザンダーにとっても容易ではなかった。

フジタ東京営業部長の藤田一憲は、アメリカ留学の経験があり、英語に堪能でプロジェクトへの参加に積極的な意欲を示していた。他の4社は、アレグザンダーとのコッミュニケーションの面で難点があったようだ。アレグザンダーは、藤田の熱意を喜び、各所長とのインタビューを終えて後、理事会にフジタを提携先として推薦、理事会も直ちにそれを了承した。

フジタとは私学審議会の認可を得られるものとして、1月に総工費20億円、工事完成の期限は1985 年3月という条件で工事契約を締結した。直ちに、造成工事の段取りに入る。
ところが、2月の私学審議会で、思わぬ結果になった。前の年からの妨害活動は、ここへ来て、新設高校の認可そのものを妨害する動きになっていた。彼等は、何の根拠もないデタラメな文書を私学審議会の会員に送りつけていたのである。ここまで卑劣なことをすると思わなかったのは、悪人との接触が少ない教員上がりの理事の弱みである。反省はしても、手遅れだった。
審議会は非公開だったので、手の打ちようがない。次の 4月の審議会でもまた保留になり、ほとんど工事期限に間に合わない時点まで来てしまった。次は6月の審議会だが、これで認可が得られなければ、「盈進プロジェクト」は終わりである。

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