第 五 章(3) 工事期限の制約と工事方式

1)直営にこだわり、議論進まず

実施設計が決まる段階で、アレグザンダーから、工事方式について協議したいとの申し入れがあった。大手ゼネコンによる請負工事の代わりに、施主が工事所長Construction Manager=CMとなり、資材と職人を手配して工事を進める直営方式(Direct Method)を準備したいと言うのである。
科学技術文明と合理主義の下で、中小建設会社を組織下に支配し大量生産方式によって利益を追求してきた大手建設会社=ゼネコンは、戦後、日本の目覚ましい経済発展を支えてきた。彼等は、事実上、日本の建設業を支配していたのである。
元々アレグザンダーを選んだ理由は、日本の伝統的な工事の手法を踏襲したいということで、考え方を共有していたからである。それなら、直営方式の彼の提案は当然である。

直ちに同意したかったのだが、二の足を踏ませたのは、1985年4月開校という日程が決まっていて、何が何でも3月までに工事を完成させねばならなかったからだ。工事期限の厳守が、埼玉県からの補助金7億円の支給を受けるための至上命令だったのである。それができなければ、「盈進プロジェクト」は崩壊し、学園の存立も危うくなる。
このプロジェクトの責任者として、一瞬たりとも頭を離れなかったのは、工事期限のことだった。  
他方、アレグザンダーも工期の問題を考えなかったわけではないだろうが、それ以上に、直営方式で最良の建築を提供したいとの思いが強かったものと思われる。
今の日本の建築界の状況だと直営方式では工期が間に合わないと彼を説得し、議論はバークレーでも続いたが、彼は譲ろうとしなかった。

考えた末に、“レンタル・ネットワーク”方式を提案した。ゼネコンの協力を得ながら、話し合いの中で、出来るだけ伝統的な手法を取り入れてもらおうとのアイデアだが、これにも耳を貸そうとしない。工期内に完成せず7億円の補助金を失うとプロジェクトそのものが崩壊しかねないところまで学園が追い詰められているとは、彼には思えなかったのであろう。
A & Uの中村敏雄編集長、生徒の父親でアレグザンダーの起用を応援してくれている建築家是永氏らを招き、彼と懇談してもらったが、不調に終わる。そうしているうちにも、開発認可の手続きの遅れと用地取得の交渉が手間取っていることで、工事期限は急速に短くなってきた。最後の手段として、石本建築設計事務所の浦林亮次専務に頼んで、アレグザンダーと会ってもらった。

2)工事の方式はあなたに従う

 

翌日、理事室の机の上に、アレグザンダーの手書きのメモが,置いてあった。「昨夜、自分が何故日本のこの地にいて仕事をしていたのかを考え、それは、あなたが私を設計者として起用してくれたからだと悟った。工事方法に就いては、今後、あなたの考えに従うことにした。」というのであった。心の底からホッとした。
間もなく、アレグザンダーが部屋に来て、「この決定は私自身が決めたので、浦林さんとの会合に影響されたものではない。」と言った上で、メモの内容を確認してくれた。

ここへ来て、彼は、長い間耳を貸さなかった「レンタル・ネットワーク」方式(大手ゼネコンの力を借りて、協議しながらこちら側の手法を可能な限り追求しようという試みである。)に同意した。実施するためには、早急にゼネコンを選ばなくてはならない。
英語の話せる工事所長がほしいので、直接所長候補と会って話したいとの彼の要望によって、年末12月、大成建設、間組、フジタ、住友建設、佐藤工業合計五社に声をかけ、12月に入ってから、それぞれの所長候補とのインタビューが行われることになった。

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