第 五 章(2) 妨害活動の始動・入間用地の取得と武蔵野校地の売却

その年の6月、理事会の席上、2年ぶりに出席した東武系列の開発業者である元理事長が、突然、「盈進プロジェクト」に異議を唱えた。武蔵野校地の売却に反対だというのである。既に2年も前に理事会で正式に決定され、その後、売却を前提に計画の具体化を進めてきているのに、今更その前提を崩すことなど不可能である。予め示し合わせていたようで、その日の評議員会では、今まで黙ってプロジェクトを支持していたはずの、学識経験者、同窓会評議員等が一斉に、プロジェクト反対の声を挙げ始めた。武蔵野の校地を処分して入間の新用地に新設高校のキャンパスを建設するので、実質的には、移転である。彼等の合言葉は、「移転反対」であった。

この妨害活動の底流は、元理事長が武蔵野校地(3000坪)の売却に絡み利益を挙げたいという目的であった。この利益の分前に与ろうとする同調者に某大学教授、同窓生などが絡み、日本で有名だったインテリ総会屋小川の子分までが入り込んできた。もっとも、彼等は、元理事の周辺で活動を続けていたが、夫々利害が異なり典型的な呉越同舟だった。

8月の夏休みを挟んで9月に開かれた評議員会で、武蔵野校地の売却は移転先の用地を習得して後にするとの確認をした。校地は売ったが、移る土地が無ないのでは困る。
ようやく、三浦が全地主との価格交渉を終え、10月、16億円で二本木の用地30000坪を取得することが出来た。
続いて、12月初め、三菱信託本店で武蔵野校地売却の入札が実施される。他の2者を引き離し、長谷川工務店が42億円で落札した。予想価格を10億円以上うわまわる高額で、ここで得られた余裕は、学園にとって大変ありがたかった。
当然、12月初めの評議員会では、反対していた妨害分子が激怒したが、彼等も含めての確認通り、移転先新校地取得後の売却であって、文句のつけようがなかった。
もっとも、元理事長が、このまま黙っていることはあるまいとは考えていたが、その予想はあたった。

この妨害活動は、この後、プロジェクトにとてつもない被害を與えるが、詳細は、第三部の学園小史で述べることにして、ここでは、プロジェクトに関わる最小限にとどめておきたい。なお、心配させたくないので、妨害活動についてアレグザンダーには、一切話さなかった。

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