第 二 章(1)「盈進プロジェクト」を決定

高層のコンクリート・ジャングルはやめる。木造でできるだけ低層がよい。日土小学校の訪問と南イングランドのパブリック・スクールの自然豊かな広い敷地に感動したのがきっかけで、木造低層主体という思いもよらなかった構想にたどり着いたのである。この方針の大転換については教職員会にその考えを発表したが、多くの教職員が賛成してくれた。理事会でも徹底的に議論し、RCの高層化をやめ、新天地を求めて木造低層主体の新キャンパスを考えようという方針が決まっていった。

その後の土地探しで、東京近郊に広い土地はないことがわかった。幸い、高校生急増対策ということで、埼玉県が、新設する三校の私立高校に一校あたり7億円の補助を出す政策を発表した。埼玉県に絞って、全力を上げて候補地を探すことにする。

武蔵野市の土地を売却し、埼玉県に広い土地を求めてそこに木造低層の新キャンパスを建設するという新方針を理事会に提案した。
1981年12月の理事会はこの提案を了承し、「盈進プロジェクト」を決定した。新設高校の名前は、倉橋治(故人、当時盈進高校校長)の提案で、東野高校に決まる。未来に向けての希望を示唆している。

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