第 一 章 (1)狭い敷地の実例見学

1978年春、盈進学園理事会は、設備の老朽化で行き詰まっている武蔵野市の校舎を取り壊し、全面的に建て変える方針を決定した。理事会でその責任者として指名され、新校舎の建設に全責任を負うことになった。

わずか10,000平方メートルでは、ごく自然に高層化計画が頭に浮かんだが、高層化以外に考えることはないのか、まず、狭い敷地の学校を見学することから始めた。
神奈川県横浜市の中華街に隣接する県立商業高校(定時制普通高校を併設)と東京都杉並区の文化服装大学付属女子高校の二校を訪問した。いずれも敷地は10,000平方メートル以下である。

1)神奈川県横浜県立商業高校:八階建てを、四階建てとして使う

10,000平方メートルでも狭いのに、ここの敷地はわずか7,500平方メートル。県立高校なので、繁華街地域で土地が狭くても通学区域ごとに学校を設置しなければならないのだ。中華街は古くからの街なので、この地域で拡張する余地はまったくない。しかも、この校舎は、商業高校と定時制の普通高校が兼用することになっている。その場で断りたくなるきつい条件である。

この難題を引き受けた浦林亮次(当時、石本建築設計事務所専務)は、RC八階建ての校舎に鍵の手の体育館をつなぐことで、必要な教室、体育実技のスペースを確保した。
見ただけではごく普通のRCの校舎だが、そこに、八階建てを“四階建てとして使う”という卓抜なアイデアが隠されていた。
五階建て以上の建物にはエレベーターの設置が義務付けられているが、ここにはエレベーターは二基しかない。これだけで三学年1,000名を越える生徒、教職員をさばくのは普通に考えれば不可能である。それを可能にしたアイデアがあったのだ。
ホーム・ルームと教員室を四階と五階に配置する。そうして、朝の登校時に全生徒をホーム・ルームまで上げてしまうのである。エレベーターは、年配の教員と来客専用で、生徒には使わせない。
朝一度ホーム・ルームに落ち着いてしまえば、基本的には自分の教室で授業を受ければ良い。残りの上下の階に配置する理科、美術、音楽等の特別教室では、教員はその教室付属の教員室にいるし、生徒のそこへの登り降りは、四階分で間に合う。生徒、教員とも四、五階に定着した上で、その階からの登り降りだけですむからである。移動距離は四、五階建ての校舎と同じである。エレベーターを使う必要はない。
教員室は四階にあるので、ここでなら四階と五階にある各ホーム・ルームを掌握するのは容易である。夜間の普通高校の生徒と兼用なので、私物用のロッカーを整備し、下校時、机の中は空けておくことになっていた。
港町らしく、校舎全体の色調をブルーの塗装で仕上げている。客船をイメージして丸窓をつけたのも、この年頃の生徒に対する優しい配慮の表れで、設計者の稚気が好ましい。

2)文化服装大学付属高校:徹底した敷地の有効利用で体育と音楽を重視

中央線荻窪駅を出てすぐの線路際にある東京都杉並区の文化服装大学付属女子高校は、元の校舎を増改築したものである。プロの建築家は使わず、校長の山岸義一が、将来の良き母親を育成するという教育方針の下で、工事の一切を取り仕切った。

敷地が狭く運動場を充分取れないので、グランドは、全面、前後に広いスペースを取らないですむ軟式のテニス・コートにした。体育の正科に取り入れたおかげで、軟式テニスで何度も全国優勝を獲得している。JR中央線のガード下を借りて、剣道場にした。テニスとともに剣道も正科にすることで、礼儀作法を学ばせることになるとの、山岸の考えである。敷地は狭くとも、軟式テニスと剣道で、体育教育は充実している。

授業で重視したのは、朗読に力を入れた国語教育と音楽教育、特に合唱の指導である。将来良き母親として子供に本を読んでやる必要があるので国語教育に力を入れていたが、同時に歌を聞かせるのが大切だということで合唱教育を重視した。そのために音楽室は三教室用意し、それぞれにヤマハのグランド・ピアノを購入した。グランド・ピアノといっても演奏会を開くのではないからフル・コンサートはいらない。上から二番目のものを買ったのである。音楽教員の面接では、成績より熱意を基準の第一とした。
三つの音楽教室にそれぞれ高級なグランド・ピアノと言う好条件が揃えば、教員の熱が入るのも当然である。偶々、合唱の練習を見学したが、普通高校で、生徒教員ともに、これだけ熱のこもった、乗りに乗った光景を見たのは初めてだった。合唱コンクールで常に上位を占めていたのも納得できる。

校舎と塀の間にある狭い空間に、焼き物の竈を設置しているのに驚いた。目一杯の土地の有効利用で、戦時中の花森安治による「足らぬ足らぬは、工夫が足らぬ。」を思い出した。

揺るがぬ教育方針の下で、敷地をフルに使って徹底した母親育成教育に打ち込んでいったのである。素人の増改築で全体が膨れ上がっており、とても洗練されたデザインとは言えないが、それなりに一本筋が通っている教育方針の徹底ぶりに感銘を受けた。

一方は、八階建てのRC校舎を四階建てとして使い、他方は、体育、音楽教育を重視して狭い敷地を目一杯に利用している。
いずれからも、学ぶべきことは多かったが、敷地の狭さから来る閉塞感はどうしようもなかった。横浜の例では、グランドはほとんど無く、昼休みでもホーム・ルームから地上に降りるのは大変、一日を屋内で過ごすことになる。自然とは無縁の学校生活だ。

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