第 二 部 各論 第 三 章 二人の職人

東野キャンパスの建設には、日本に何人といない二人の職人が関わった。左官の石黒重治と大工の住吉寅七である。

石黒は、一年かけて大講堂の内装漆喰工事を一人で仕上げた。巨大な空間の大天井、全壁面、全角柱を相手に、思う存分左官としての腕を振るった。四面すべて黒漆喰仕上げの列柱は、日本の伝統的な左官仕事として第二次大戦後最高の技術の結晶の一つであろう。彼は、職人としての至福の一年を心ゆくまで楽しんで、記念碑となる貴重な文化遺産を残してくれた。このキャンパスで職人仕事といえるのは、この大講堂の内装工事だけである。

住吉は基本設計の段階からスタッフに加わり、木工事の経験のないフジタの工事所長藤田敏美を全面的に補佐し、現場の職人らのあらゆる質問、相談に丁寧に対応し時には指導に当たって、工事の完成まで不可欠の役割りを果たしてくれた。数十名の現場の大工は三グループに分かれ、それぞれ棟梁の指揮下で藤田所長の下で作業にあたったが、彼は、常に所長が敬意を払い全面的に信頼していた頼もしい補佐として活躍した。表に出るような派手な動きはなかったが、毎日、一日も欠かさず早朝から現場に足を運び、所長や棟梁らが絶えずぶつかる木工事上の問題に対応していた。
膨大な量の実施図面を独自の手法で一人で仕上げて、端倪すべからざる職人の一面を見せてくれたが、住吉なしにこのキャンパスの工事を完成することは不可能だったのである。後に直接話を聞き、このようなプロジェクトにとって不可欠な役割りが、彼にとっては最後まで大工としての彼自身の望みとはかけ離れていたことがわかる。
しかし、彼がつくった木工事における継ぎ手の模型の見事さが、構造計算書の作成に関わった早稲田大学の松井源吾教授に見出され、共著での本になった。その後、ニューヨークのギャラリーでの継ぎ手模型の展示と実演に招かれ、毎日嬉しそうに自らの手際を惜しみなく来場者に披露していた。名工にふさわしいハレの舞台への出場を心から楽しみ、96歳で世を去った。
アレグザンダーは住吉を信頼し、住吉は何時も「クリスさんはたいしたもんだ・・・」と敬意を払っていた。職人としての大工の考えからくる食い違いはあったが、二人の間の信頼は、木工事に未経験なフジタに依頼するというこのプロジェクトの完成を見事に支えていたのである。

(1)木造キャンパスに不可欠な役割りー棟梁・住吉寅七
(2)最高の文化遺産、四面黒漆喰の列柱と大講堂の内装

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