キャンパスツアー(11) 体育館ではない武道場

© 2018 Mao Matsuda

武道場の精神性とアプローチ

カフェテリアの二階から見ると、多目的ホールの左奥に切妻の屋根を持つ天守閣のようなユニークな建物が武道場で、三棟の木造大構造の一つである。敷地の北東の隅に孤立して聳え、キャンパスの建物群のアンカーを務めている。

高校の体育実技としての柔道には、ふつう体育館が使われている。床に畳を固定して敷けば、その一角が柔道場となるわけだ。
アレグザンダーは、ひと通り体育科教員の意見を聞いたが、いささか当惑させられたと言う。彼らの希望、意見を総合すると、そこに浮かび上がってくるのは体育館であって、武道としての柔道に特有な精神性を持つ武道場にはならない。これなら、すでに木造の体育館があるし、その上には付属の小体育館もある。あえて、第三の体育館を建てる必要はないではないかと言うのである。
本家の日本でも、すでに柔道は完全なスポーツになっている。武道としての柔道は影を潜めてしまったと言って良い。体育科教員の意見は、この時代の流れをそのまま反映していたのである。イギリス人の建築家が武道としての柔道の精神性を確かめようとしていたのに、柔道の本場である日本の体育科教員らが、精神性を失ったスポーツ柔道という認識で対応したというのは、皮肉だった。

基本計画で、武道場の建設は決定している。大小二つの体育館の他に武道場を持つというのは贅沢だが、いくら柔道がスポーツになっているからといって、日本の文化の重要な側面である精神性まで消し去ってよいということにはなるまい。柔よく剛を制すと言うのも、礼に始まって礼に終わると言うのも、単なる形式やスローガンではないはずだ。他の国でならともかく、日本で今武道場を作るのであれば、そこに文化としての精神性を継承していく必要があるだろう。そのような議論さえされなくなっているのが現状だが、アレグザンダーは、この趣旨を日本人、少なくともこの学校の体育科教員以上によく理解していた。

正面のアプローチは、玄関へ続く石の階段を上るところから始まる。スポーツが目的の体育館であれば、レベルを変えてわざわざ何段もの階段を登らせる必要はない。さあ、これから道場に入るのだ、という心構えがほしいのだ。
玄関は、モルタルの土間に続いて、板の間の式台があり、正面は両開きの大きいな板戸で仕切られている。柔道場の入り口は両開きの大戸でありたい。その背後の空間への期待感、緊張感が大切なのだ。

絢爛たるド派手なスペクタクルでは世界でも有数の映画監督深作欣二の「忠臣蔵」。主君浅野内匠頭が城内での刃傷沙汰を咎められ切腹、その知らせを受けて招集された赤穂城での評定の場面が息を呑む迫力だった。幕を開けるのに「両開き」が使われている。襖が左右にさっと開くと、ワイドの画面いっぱいに大広間を埋め尽くして正座している家臣の裃の後ろ姿の勢揃いが観客を直撃する。この鮮やかで強烈な迫力は深作だけのものだが、左右にさっと開かれる襖が、直後に現れる光景を鮮烈に浮かび上がらせる決め手なのである。日本建築における仕掛けと言って良い。

この映画での畳敷きの大広間と同じく、柔道場でも、ドアの入り口ではダメで「両開き」の間仕切り以外には考えられないのである。
大戸を開けて入ると、天井を思い切って高く取り、周囲の壁面は天井の高さまで鮮紅色のレッド・ウッドを貼ってある板の間の大空間だ。中央部分は、床よりレベルを低くしてあり、そこに畳を正方形に敷き詰め道場になっている。左手北東側の壁面は腰の高さに弓の狭間を思わせる方形の小窓が並ぶ以外、目の高さはすべて壁、天井近くに高窓がある。正面は床の間の役割を持つアルコーブで、ふさわしい書画を掛ける。静かなシンとした緊張感を持つ、美しい空間を創っているのは、高い天井とレッド・ウッドの壁面に板の間である。

ここで使用されているレッド・ウッドは、カリフォルニア北部の地域にしかない樹齢三ー四千年の高級内装材で、世界一の大木だからこそ長尺で美しい無節の断面が見られるのである。耐水性があり檜に近いが、日本には樹齢四千年の木はない。その後一切輸出禁止になったので、日本では、このキャンパスでの使用が最後になった。

静かで暗く緊張感のある空間

© 2018 Mao Matsuda

道場についての要望は、「静かで、必要な採光はあるがやや暗い、そこにピンと張り詰めた緊張感を持つ空間がほしい。」というものだった。言葉で言えば感じはわかるが、実際にどのような空間になるのかということになると見当もつかない。恐る恐る切り出すと、意外にもアレグザンダーは即座に、「よくわかった。希望にそえると思うので、安心してもらって良い。」との回答だった。あまりにも即答に過ぎたのでかえって不安になったが、説明を聞いて納得した。

天井を高くし、周囲を板壁で囲むが、目の高さには窓を開けない、天井のごく近くに高窓を取ることで、このような空間を作り出せるというのである。そこにある空間は、外界と遮断された薄暗い別世界である。このシーンとした建築空間が、カトリッ教会特有の“祈りの場”になる。カトリックの場合、教会内の空間にはイエスの身体の一部が実在するものと考えられているので、静かな暗さの中に張り詰める緊張感は、不可欠な条件である。

このような建築空間の代表的なものとして、パリ近郊、シャルトルの大聖堂がある。昼間の明るい日差しを浴びている広場から二重の厚い扉を通って会堂内に入ると、深海の底にいるような暗さで、目がなれるのに少し時間がかかる。周囲のベンチでは、腰掛けたまま、あるいは膝まずいて祈りを捧げている。正面は、カトリック特有の重厚で壮麗な祭壇。息を呑むのは、上を見上げると、はるかに高い天井の周囲の高窓が、色鮮やかなステンド・グラスになっている。陽光を通して浮かび上がる宗教画の極彩色は、誰もが言うように、この世のものとは思えない。
会堂の下半分を満たしている静かな地上の闇と上半分に広がるステンド・グラスを通す華麗な光に包まれた天上の空間の劇的な対照には、ただ圧倒されるだけだった。
静かで暗い祈りの場に微かな採光を与える高窓という手法は、カトリック教会の緊張した空間を作り出す鍵として、西欧の貴重な文化遺産だったのである。その高窓にステンド・グラスを使うことで、いながらにして華麗な極彩色に包まれた天上の世界を仰ぎ見るこのシャルトルの大聖堂は、ヨーロッパの文化遺産の一つの極致と言えよう。

日本の、ことに鎌倉期以降の装飾を排した白木文化を代表する白木の寺院建築は、このような西欧の教会建築の対極に位置する。一神教と多神教という背景の違いも考えられるが、それ以上に、日本の場合には、鎌倉以降、装飾を排するだけでなく、外界の自然を遮断して窓のない閉じた空間をつくるという建築は一切なかった。従って、高窓も、日本の建築にはなかったのである。

この武道場の静かな緊張感を持つ空間は日本の建築にはなかった高い天井近くに高窓を導入するという西欧カトリック教会の文化遺産を受け継ぐことで得られた。周囲を美しいレッド・ウッドの板壁で囲み、玄関の板の間との間を“両開き”の大戸で仕切ることによって、石造りの西欧の教会建築にはない日本の伝統を踏まえた独自の武道場が生まれたのである。

アプローチの石段、玄関の土間に続く板の間の式台、“両開き”の板の大戸、高い天井、高窓、レッド・ウッドの板壁・・・・・これらのすべてが、武道場の静かで張り詰めた緊張感と精神性を持つ空間にとって不可欠な要素であった。アレグザンダーは、柔道の精神性を理解した上で、西欧カトリック教会建築の文化遺産を受け継ぎながら、日本の建築の伝統を活かした独自の武道場を創り出した。

彼が深作の「忠臣蔵」を見ていたとは思えないが、結果としてであっても、人々を道場の空間へ導くのに決定的な役割を果たす“両開き”板の大戸を選択したことには、深い敬意を表したい。

安全性の考え方

開校後意外な方角から、問題が出てきた。この武道場の主空間の静かな緊張感を作り出すのにかけがえのない大切な役割を担っていた美しいレッド・ウッドの壁面が、あろうことか、大量のマットで覆われてしまうという信じられない事態が起こった。練習の際に、壁にぶつかって怪我をしないようにマットを使用したのである。あの静かな緊張感を湛えた空間が、見るも無残なプロレスの練習場と化してしまった。
プロレスに偏見があるというような問題ではない。プロレスなら体育館でも出来る。それと同じ使い方をすることで体育館にしてしまうのであれば、わざわざ武道場を持つ意味はなくなる。それにしても、美しいレッド・ウッドの壁面をマットで覆って平然としていられる感覚は、ただごとではない。校長の指示で、マットは練習に必要なときだけ使用し後は必ず外しておくということで、一時的な解決を見た。見学者や訪問客が、プロレスの練習場を見ることはなくなったのだ。
しかし、武道場は、見学者のためのものではない。そこに用意された空間の精神性は、日本の文化としての柔道を学ぶ生徒のためのものではなかったのか。一時的というだけでなく、これでは解決と言えないのである。

この問題は、学校、あるいは学校教育における安全性の問題に関わっている。
愛媛県八幡浜市の日土小学校は、木造二階建てのこじんまりした校舎で、設計者松村正恒による様々な工夫が見られるが、その一つに足洗い場がある。広いとはいえない土の運動場を裸足で走り回る児童にとっては不可欠な設備だ。これが、長い間使われないままに放置され、サビと苔でみすぼらしい姿を晒していた。
怪我をさせてはいけないとのPTAの強硬な申し入れで、運動場では必ず運動靴をはくことになったのだと言う。「ガラスの破片でもあれば別ですが、小学校の児童なら、裸足で走り回っている方が彼らも喜ぶしむしろ自然だと思うんですがねえ。」と、教頭が憮然としてつぶやいていた。固いものを食べさせないので、日本では児童の顎が退化しているとの恐るべき歯科医師会の報告があるが、日土小学校の土足禁止につながる時代の流れである。

東京都目黒区の小学校で、運動場を走っていた児童がサッカーのゴール・ポストに衝突して死亡する事故があった。両親は、区の教育委員会と学校に対して、危険なゴール・ポストにマットを巻き付ける安全対策を怠ったのは重大な過失だと訴訟を起こした。東京地方裁判所の判決は、学校教育における安全についての重要な問題提起として教育史上に残すべきものとなった。
判決の内容は二点に要約できる。第一は、学校内にはいたるところに危険な施設、場所、障害物があるが、ふだんから児童、生徒に、それらを察知して事前に危険を避けるようにさせるのも教育の一環だというのである。第二は、サッカーのゴール・ポストは、第一で言う障害物の一つであるが、これをマットで覆うと、本来のゴール・ポストの機能を果たせなくなる。従って、これをサッカーの用具として使用するのであれば、マットで覆う事はできないとする。この二点に基づいて、判決では学校側に過失はないと判断したのだ。

武道場の板壁に戻ろう。この板壁をマットで覆うのは、投げられた生徒が壁にぶつかる危険があるからだということだった。
しかし、柔道では、まず受け身を徹底的に練習させるのが基本であるとともに、投げ技を決めるときには手を離さないという約束がある。手を離せば投げた相手を何メートルも飛ばすような技は、巴投げ、内股など少なくないが、指導者の下で、約束事をきちんと守り受け身を絶えず練習している者同士なら、壁に衝突するなどということは起こり得ない。受け身ができなければ、乱取りなどでは、壁面どころか、床もマットで覆うことになる。壁に衝突するというのは、技を掛けるときに手を離す者がいるからであって、それは施設ではなく指導の問題である。ルールも約束事も無視するような喧嘩柔道やプロレス柔道を指導者なしで勝手にやらせるのでない限り、道場の壁面をマットで覆う必要など全くないのである。 調査したわけではないが、講道館柔道が始まって以来、壁面をマットで覆った道場がどのくらいあっただろうか。日本での柔道での歴史は講道館よりはるかに長いが、その当時マットはなかったはずだ。戦後、児童、青少年が柔道、剣道を習うのに警察の道場がよく使われていたが、やはり壁をマットで覆うような例はなかったと思う。

レッド・ウッドの壁面をマットで覆うという安全対策は、過剰どころか、はっきり間違いである。まして、それによって、この武道場の空間の精神性が踏みにじられるのである以上、マットの使用は今後とも全面的に禁止すべきであろう。
このプロジェクトは、建築そのものとして時代の風潮に正面から逆らうものだったが、それは同時に、無意識の内に人々を深く支配している時代精神、時の流れとも絶えず向き合っていかなければならない宿命を負うていたのである。

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