キャンパスツアー(8) 独立した教室でプライバシー確保

短縮授業?阻止に実力行使

© 2018 Mao Matsuda

教室にプライバシーが必要ではないかというのは、長い間考え続けていた課題だった。廊下に面して、片側に教室を並べるという従来の教室配置では、各教室のプライバシーは守れない。
どこの学校でも、必ず、早めに授業を切り上げる教員がいるが、廊下に出てくる生徒のおかげで、隣設する教室ではもう授業にならない。偶々、複数の教室が早めに授業を終えたりすると、残りの教室での授業は完全にお手上げである。教員が困るだけではない。生徒のほうが、もう終わった気分になってしまうのだ。教員会で申し合わせてもしばらくは自粛しているが、長期にわたって徹底させるのは不可能に近い。時が経つと必ず又短縮授業を始める教員が出てくるからだ。

ある日、実力行使に踏み切った。生徒の手を借りて、机と椅子で教室前の廊下にバリケードを築き、廊下の通行をブロックしたのである。生徒には、バリケードを越える者には椅子をぶつけて構わないと指示したので、彼らは躍り上がって喜んだ。
早く終えた教員、生徒がバリケードを見て仰天したのはもちろんだが、すぐ先の階段を降りればトイレも教員室もすぐなのに、反対側を大回りしなければならない場合もあり、ほとほと弱ったらしい。もちろん、危険を感じて、バリケードを突破する者は一人も出てこなかったので、危惧した廊下での乱闘はおこらなかった。申し合わせ違反の短縮授業なので、バリケードに抗議もできない。予想以上の効果があり、これ以降、その年度は、早く授業を終える教員はゼロになった。
一般に教員は、物理的な実力行使には弱いのである。戦略、戦術とも見事にあたったが、その後毎年、年度初めにバリケードを作ることになると思うといささか憂鬱だった。解決策はある。廊下の片側に教室を配置するというレイ・アウトをやめればよいのだ。

玄関を台無しにする下駄箱群

© 2018 Mao Matsuda

学校建築で、もう一つ大きな問題がある。玄関の下駄箱である。上、下足を別にするという日本の学校の習慣は悪くないのだが、どう工夫しても醜悪な下駄箱群があるというだけで、玄関の雰囲気は台無しになる。苦し紛れに、下駄箱をすべて裏に向けて並べた例があったが、装飾ゼロで無味乾燥な空間に下駄箱の裏のパネルが立ち並ぶ光景は異様というしかなかった。
京都郊外の同志社国際高校では、来客用の玄関とは別に生徒用の玄関を作り、ここに、始末に困る下駄箱群を置くことで一応の解決を試みた。正面玄関の良い雰囲気は維持できたが、デザインのしようもない大量の下駄箱群を抱え込んだ生徒用の玄関は従来のままだった。本来、生徒が主体の学校で、生徒用の玄関がひどいのでは、解決とはいえないであろう。
又、人の上履きを履いたり、ロッカーを壊しての盗難という問題もある。鍵を変えるよう指導するとそれを忘れた生徒のために教員室にはカッターを常備するということになる。

今まで、解決例がないのは、木だろうとスティールだろうと、大量の下駄箱群の醜悪な迫力は、デザインの領域では対処が不可能だからである。要は、“大量の下駄箱群”がなければよいのだ。
パタン・ランゲージでホーム・ルーム通りが承認されたので、廊下の片側に教室というレイ・アウトから生ずる短縮授業、大量の下駄箱を抱える玄関という二つの問題は、一挙に解決した。各教室は完全にプライバシーを確保でき、いわゆる学校の正面玄関はないので、大量の下駄箱の問題もなくなったのである。
ホーム・ルーム通りの両側に立ち並ぶ教室棟は木造の二階建て、その奥には平屋一戸建てもあるが、一階は回廊の裏、ホーム・ルーム通りの方から入り、二階の教室には外階段で出入りするようにした。このキャンパスには、いわゆる正面玄関がないので、下駄箱の問題もない。それぞれの教室が、入り口としての小玄関を持ち、そこに四十人分の下駄箱を置いたのである。クラスの中はお互いによくわかっているので、人のものを履くとか、盗難などはおこらない。

独立した教室

© 2018 Mao Matsuda
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ホーム・ルーム通りの両側に、上下二教室の木造二階建ての教室棟が立ち並ぶ。回廊からは直接教室へ入れないし、二階の教室へは外階段を使うので、上下ともそれぞれの独立性を確保できる。
学園のカリキュラムではホーム・ルーム制をとっているが、教員は教員室でとぐろをまいているのでなく生徒の近くにいるべきだとの考えから、各教室にはすべて玄関脇に教員用の個室を設置した。生徒の近くにはいるが、いつも顔を合わせている煩わしさは避けたいのである。
教室内には、ホーム・ルーム通りに面する窓際の空間の床と授業スペースの床とのレベルを変えて間に低い間仕切りを設けた。屋内バルコニーとでも言えば良いと思う。こうして、各教室ユニットは、玄関、授業用のスペース、屋内バルコニー、教員用の個室という四つの空間を持つことになった。一つ一つの教室が、クラス単位の家になったと言って良い。
台所はないが、教員の個室にはヒーターを持ち込んでお茶を入れる程度は可能だし、マメな教員はここにソファーを持ち込んで昼寝を楽しんでいた。必要に応じて、お説教、密談にも使える。
玄関の土間はモルタル、床は木で、部分的に柱、梁が露わしになっている。窓は小割り、内装は簡素だが、ベニヤのフラッシュ・ドアをやめ簡単なパタンではあるが手仕事で彫りを入れた木製のドアをつけた。1階の教室は、それぞれ小さな庭を持っている。外階段には、贅沢だがレッド・ウッドを使用した。アレグザンダーは、画一的なユニットにはしたくないとの要望を快く受け入れてくれたので、結果として同じレイ・アウトの教室はひとつもない。
授業空間と外をつなぐ中間部分に置いた幅二メートルほどの狭い屋内バルコニーは、生徒に好評だった。床のレベルが違い、椅子も机もないというだけの空間なのだが、授業が終わってそこに移動するというだけで気分も変わるのだ。座り込んで弁当を食べたり、雑談を楽しんでいた。窓を開けて敷居に腰掛け、ホーム・ルーム通りの生徒に声をかけたり、ギターを楽しむのにもよく使われていた。
外壁で囲んで内外を遮断し閉じた空間を作るのと反対に、日本の伝統的な住まいでは、部屋と外との間に緩衝地帯として縁側を置いた。外に向かって開けていながら 、直接外には接触しない工夫である。
屋内バルコニーは、いわば縁側の役割を果たすことになったのである。生徒は、たとえ狭くとも、このような空間を活かして多様な使い方をする。

予定どおりにいかなかったのは、教室棟の庭だった。初めのうちは一部の教員の指導で花や木を植えていたが広まらなかった。トーマス・モアのユートピアにある都市計画では美しい都市を作る上で個人の住宅の庭を重視している。それぞれが、自分の家の庭を美しくしようと競争するので都市全体が美しくなるというのだ。それを期待したのだが、高校生は花や木への関心度が低い。というよりもっと他のものへの興味に追われている彼らでは、期待するのが無理だったようだ。
スイスではどの家も庭やバルコニーを花で可愛らしく飾っているが観光立国としての政策で強要していると言う。自然の気持ちからのものでないと、人工的な感じになるのもやむを得ない。
廊下の片側に教室を並べるという配置に慣れていた生徒たちは、最初は戸惑ったようだが、他のクラスから独立している自分たちの領域として与えられたクラスのプライバシーをのびのびと楽しむようになった。個人のプライバシーではないが、この領域では彼らが主人公なのだ。彼らの適応性は、抜群である。中には、教員用の個室を使わない教員もいたが、そこは、たちまち、ある程度の遠慮はあったようだが彼らの私室として利用されていた。

エジプトとメソポタミア

予想しなかった効果は、いわゆる“番長”がいなくなったことだ。“番長”支配が成立しにくくなったのが、その背景である。
エジプトでは、人が住めるのはナイル河に沿った幅三十キロ程度の流域だけである。舟運が古くから利用されており、一本のナイル河が人々の生活の生命線だった。国王はこのナイル河を抑えれば、流域のすべての住民を支配できたのである。歴史上初めて、エジプトで長期にわたる専制支配が成立したのは、このナイル河による。
高校での”番長”支配でこのナイル河の役割をはたしていたのが、廊下だったのだ。“番長”とその手下は、休み時間に、どの教室へも廊下から自由に出入りできる。廊下を通じてすべての教室を支配ができたのだ。
それに対して、エジプトより歴史の古いメソポタミアは、チグリス・ユーフラテス河が山地から平野に出たところで多くの支流に枝分かれし、それぞれの流域に成立する小国が散在していた。このような地勢においては、いくら強大な権力でも、広く散在している小国を統一的に支配することは不可能で、各国の分立は不可避だったのである。
考えもしなかったが、それぞれの教室を完全に独立させることで、このキャンパスは、期せずしてメソポタミアになっていた。各教室へ出入りするにはそれぞれの玄関を使うしかなく、とくに二階の教室だと、いちいち外階段を上り下りしなければならない。十分間の休み時間に、“番長”一派が各教室をパトロールするのは不可能になってしまったのである。昼休みは、ほとんどの生徒がカフェテリアなど教室の外へ出てしまうので、季節の良い時には教室はがらがらになる。これでは、“番長”支配は無理だ。ということで、ナイル河を持たないこのキャンパスでは、見事に“番長”支配がなくなったのである。

もっとも、“番長”支配を通じて短期間に生徒指導の目的を達成するという手法も取れなくなった。片側廊下の旧校舎では、この手で、あまりにもひどくなった教室での喫煙を一掃したことがある。この時は、“番長”が胸を張って引き受け、手下の生徒を動員して、「オレの顔をつぶす気か。」と、各教室で喫煙者を傷めない程度に殴って回った。ただでさえ怖い連中が本気で動いたのであっという間に、教室での喫煙はゼロになった。
その前だが、高校生の喧嘩は普通のことなので、複数で一人を殴ったりするのは卑劣で許せないが、必ず立会人をおいて一人対一人でやれ、TKOの前に勝敗を決めるようにと注意を与えていた。これが裏目に出て、偶々立会人付きで喧嘩をしていたのに出会った教員がとめようとしたところ、私の許可を得ていると居直った馬鹿がいた。おかげで、教員会で、暴力を認めている教員がいると問題にされ、ひどい目にあった。このせいで、教室での喫煙を一掃した時も、なにか裏がありそうだと疑惑の目を向けられたが、無視した。
最近では、いじめのテーマが社会問題に拡大され、教育行政、学校、地域、保護者ぐるみの監視網に取り囲まれ、高校生同士での喧嘩など見ることもないらしい。男子生徒の女性化とまでは言わないが、歓迎すべき状況とは思えない。

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