なるべくしてなった「池」
敷地は、北に向かう国道十六号線の谷間から西に続く丘陵を上り切ったところで、敷地の西縁を麓の十六号線と平行して県道が走っている。県道を境に西側は昔、飛行場の滑走路だった平地だが、東側は、谷間へとゆるく下る傾斜地の茶畠になっている二万坪のキャンパス予定地だった。
県道から一度下りたところに、雨が降るとすぐ水たまりになってなかなか水が引かない湿地帯の窪地がある。ここからゆるい下りで、谷間の街並みを見下ろす急な崖の上が境界線になっている。この窪地は茶畠にはならないし野菜も栽培できないで、そのまま放置されていた。
初めて敷地を訪れた際に、“すべて均らして三つのレベル”の人工地盤を造成するという長嶋正充の造成計画が示された。そこでは、茶畠の起伏という地域特有の自然・風土は全く無視されていた。これに対し、アレグザンダーは、可能な限り敷地の地形を活かしたいという施主の考えを完全に共有していた。
パタン・ランゲージで、県道からすぐ下ったところの窪地利用の連想から、このキャンパスは「池」を持つことが明記された。それに続く配置計画で、この窪地がそのまま「池」になることが確認される。傾斜面の敷地をすべて均ならして人工地盤という造成計画では、この窪地などはあっという間に潰されてしまう。今の窪地をそのまま手を加えないで「池」にすることで、このキャンパスの「池」は、なるべくして「池」になったのである。
池か、四百メートルの公式トラックか?
池は、設計段階のパタン・ランゲージに明記されている。この段階の作業は必ずしも実際の敷地を前提にするものではないが、配置計画に基づく基本設計の過程で敷地は決定していた。
県道から急に下ったったところの窪地、湿地帯は大雨が続くと池になるところだ。ここを埋め立てたりしないで、そのまま池にしてはどうかという考えは、極めて自然に浮かんできた。それに、二万坪という高校では埼玉県一の広さを持つ敷地に、四季を通じて楽しめる池を持つのは、学校にとって素晴らしいことではないか。理事も教職員もこれだけ広ければ池の一つや二つあってもかまわないと思ったようで、これといった反対もなく、池の提案はすんなり承認された。
現地に大量の旗竿を持ち込んで配置計画の作業を進めている時に、水色の旗竿で池の輪郭が浮かび上がった。意外に大きい。水に浮かぶ体育館から始まり、橋から右へ曲がって大講堂の裏手を過ぎ小音楽堂に至る池は、できる前からキャンパスの豊かな毎日を約束しているように思えた。
問題が起こったのは、配置計画の段階を終えた時だ。誰もがこのような大きな池は予想していなかったらしく、例によって、合理主義・機能主義の立場からの異論が持ち上がった。
小さな池ならともかく、これだけの広さを池にしてしまうのは、貴重な土地の無駄遣いではないか。それに、池は、何の役にも立たない。それより、建物の配置を変えれば、四百メートルの公式トラックを持つ陸上競技場ができる。これなら、学校の体育に使えるし、正式な競技会も開催できる。せっかく新しいキャンパスを創るのだから、役に立たない池はやめて正式の陸上競技場を建てるべきだ、というのである。
いつものことだが、感性に関わる問題は、合理と機能に根拠を置く議論にはなじまない。体育・スポーツに使えるという機能を第一において、その機能を果たすための合理的な土地の使い方という筋道で考えれば、そこから正式の陸上競技場という結論を導くのは容易である。この場合、地域の違いを超えて國際的に認められる共通のルールによる競技場は、地域性に根拠を置く文化ではなく、文明に属するといってよい。
これに対して、茶畠の窪地を池にして、キャンパスにいきいきした豊かさを与えようというのは、文化である。一歩踏み込めば、池を巡る議論は文明と文化の問題なのだ。このような議論では、ことが感性に関わる以上いくら議論しても、合理的にこれが正しいなどという結論は出ない。
今から配置計画を一からやり直すのは、時間と費用の両面から無理だ。正式の陸上競技場の建設には巨額の費用がかかりそのような予算はない。それに、このような競技場は公共的な施設として建設され使われるものであって、個々の学校が持つようなものではない。
最後の決め手は、池を持つことが明記されているパタン・ランゲージが全員一致で承認されていることだった。
開発と文化・なるべくして生まれた池
池か陸上競技場かという議論は、開発について二重に文化の問題を提起している。
第一の問題は、周辺の自然・風土・地形など総じて地域文化との調和をどう考えていくかということだ。“土地の声”に耳を傾けるのである。この敷地の造成では、茶畠の起伏を活かすことである。雨が降ると自然の池になり野菜もできない湿地の窪地は、そのままで、ここがどうなるべきかを我々に語りかけている。キャンパスの池は、「なるべくして池になった」のだ。それに対して、池をやめて陸上競技場を建設するには、広大な面積の土地の起伏を“均らして”人工地盤を造成することになる。前者が文化であるのに対して後者は文明である。科学技術文明に拠る開発では、“土地の声”に耳を傾ける余地は全くない。
第二の問題は、開発即文明化ではないということだ。新幹線の開発は技術文明の先端を行くものだが、と言って、沿線の各駅の建築が機能本位で殺風景な、しかも類型的で個性のない建築である必要はない。
今の地域性、地域文化を無視した新幹線の行き方だと、どの駅に降りても駅名の表示がなければ、どこに来たのか見当もつかない。チリの首都サンチャゴの地下鉄のある駅の壁面は、大胆な壁画で埋めつくされていた。ロシアの地下鉄の駅は、宮殿を思わせる壮麗な建築だという。丸の内側ノ東京駅は、誰が見ても東京駅だとすぐわかる。駅名の表示がないと自分がどこに居るのかわからないような事態は、文化を無視した報いなのだと思う。
自然の地形でできた湖沼は、周辺の景観とともに地域性を備えている。このキャンパスの池も、ユニークな木の体育館を浮かべることで、東野の池だと誰にでもわかる。文化の特性である。
キャフェテリアの前から池に向かう明るい南向きの芝生の斜面は、このキャンパスでもっとも素敵な場所と言える。季節の良い時期には、池を見下ろすこの芝生の斜面は一人であるいはグループが楽しくくつろげる場所となる。
村祭りには、池の中に足場を組んで、芝生の観客席と向かい合う水上ステージが出来る。次々とバンドが登場して、このユニークなステージでの演奏を楽しみ、祭りの雰囲気を盛り上げていく。水上ステージでのイベントは、毎年秋の村祭りの恒例となった。池と同じく、土地の声を聞き、茶畠の起伏を活かした開発の恩恵であった。すべて“均らして・・・”の開発では、この素敵な芝生の斜面も、丘の上の可愛らしいカフェテリアも、まして水上ステージなど望むべくもなかったであろう。
これも恒例になっていた村祭りの花火大会は、この池にその華やかな彩りを映すことで、祭りのフィナーレを飾っていた。
池はそれを楽しむ人々によって、文化となる。“役に立たない”という機能主義からの批判は、誤りであろう。
工事事務所をどこに置くかが問題になった時、フジタは、トラックによる資材の搬入が容易で造成、建設工に支障のない場所ということで、池の予定地が最善と言う。可能な限り、出来上がりを見ながら次に進むという手法を取りたいアレグザンダーは、先ず池を造成し、それとの関連を見ながらホーム・ルーム通り、管理棟の工事を進めたいと言う。
最終的には、フジタの言うとおりの位置に工事事務所を建てたが、その後、池との関連をチェックするために、池の輪郭を示す紐を用意したとは言え、実際に水を湛えた池があるわけではない。それを想定しながらのチェック作業はかなり面倒だった。池の予定地周辺には、資材が山積みとなっており、木材の刻みなど大工の仕事場でもあった。実施設計の図面はあるので、池の方から見たり、池の予定地越しにカフェテリアを見たりして、最終のチェックとレイ・アウトを確認していった。
それにしても、完成後、正門と広場の設計は完全に失敗だとある建築家に言われた時は驚いた。せっかくの池が、正門、広場から見えないというのである。彼はどうやら、図面だけでこのような発言をしたらしい。繰り返し確認してきたが、正門、広場のいずれからも、水を湛えた池をはっきり見ることが出来る。池を超えて緑の芝生の斜面の上に望む赤い屋根のカフェテリアは、このキャンパスで最も楽しい景観の一つだろう。
キャンパスは今呼吸を始めた
土手の斜面は石積みだった。膨大な面積の池の斜面に、一つずつ石を積んでいく作業は、年寄の石屋一人が手がけた。毎日黙々と、一つずつ丹念に微調整しながら石を積んでいくのである。時間のかかる、単調で根気のいる仕事だ。冬の寒い時期に、指先の微妙な感触を頼りに、気の長い作業が続いていった。ようやく完成した時には、見ているだけだったが、心からホッとしたのを覚えている。ただ積んであるようい見えるが、そこはプロの仕事、ピッタリ積まれた石はびくともしなかった。
工事の最終段階で注水が始まった。丸二日かけて満々と水を湛えた池がその全貌を現した。カフェテリア前の芝生の斜面から見ると、左手の大講堂から始まり右手の体育館で終わる建物群を水面に映す池は、大講堂の裏側に広がり、このキャンパスの生命の核になっていることを改めて実感できる。この池無しにこのキャンパスはあり得ない。池が、キャンパスに生命、リアリティーをあたえているのだ。
開校前に、生物の教員小島芳男がアヒルを十四羽放し、その日から池での生活が始まった。アレグザンダーに短いメッセージを送った。
「池で十四羽のアヒルが泳ぎ始めている。キャンパスは今、呼吸を開始した。」