キャンパスツアー(2) キャンパスの要である広場

© 2018 Mao Matsuda

第一の門から玄関道を通り正門をくぐると、砂利敷きの広場に出る。右手には大講堂とそれに続く小音楽堂、左手は管理棟と教室棟が立ち並ぶホーム・ルーム通りの入り口、正面には池越しの丘の上に赤い屋根の可愛らしいカフェテリアを望む。ここは、キャンパスの要の位置にあって、それぞれの建物へ向かう起点になっている。

ヨーロッパの都市につきものの広場が、ここのイメージの原点だった。
代表的な広場が、ベルギーのブラッセルにあるグラン・プラス。周囲を中世に栄えたギルドの石造りの商館が取り囲んでいる。“大きい”という名前なのに小さな広場だ。隅の路地を入ると“小便小僧“の像。この広場では、年中イベントが開かれていて、人々を楽しませている。
サッチャーが英国首相になった前の年の夏、たまたまこの広場を訪れ、チョコレートと襟と袖に使うレースのセットを買った。両者ともスイスが有名だが、実は、レースで質が良いのはベルギー製なのだ。器械編みのスイスのレースと違い、手編みのベルギー・レースは格好のおみやげになる。この日、舞台を組み立てていたので聞くと、翌日英国のブラス・バンドのコンサートがあるという。伝統のある英国の吹奏楽であれば是非聞きたかったが、翌日早朝のサベナ航空で出発する予定になっているので諦めた。帰国した翌日の新聞を見て驚いた。英国のバンドを狙って舞台に仕掛けられた爆薬が破裂し、多数の死傷者が出たという。もしいれば、必ず舞台のすぐ下で聴いていたに違いないのでぞっとした。広場でのテロは当時珍しかったと思う。
他にも、「ローマの休日」に出てくるスペイン広場などは誰もが知っているが、広場はヨーロッパの文化そのものと言ってよいかと思う。都市のほぼ中心にあり、多くの場合、そこから市内の各方向へ大通りが伸びている。

オーストリア・ザルツブルグ旧市街の広場は、これらと少し違っている。いくつかの小さな広場が、古くからの石造り二、三階の建物に囲まれている。建物の一階にあるアーチをくぐると別の広場に出る。これらの建物のアーチが、それぞれ趣の違う広場という別世界をつないでいるのだ。広場には、静かな落ち着いた緊張感があったり、明るい開放感に満ちていたりする。
遠くで室内楽の演奏が聞こえてきたので次の広場に出ると、すぐ近くの一階の部屋で演奏会が開かれていた。窓の下に佇んで、ベートーベンの弦楽四重奏曲を楽しんだ。日曜日のひとけのない広場に響くクラシックが、いかにもオーストリアの旧市街にいるのを感じさせてくれた。旧市街には、モーツアルトの生家が保存されていて、彼の使ったピアノが当時のまま置かれていた。
この時の経験を伝え、アレグザンダーに、キャンパスには是非ザルツブルグ旧市街のような広場がほしいと頼んだ。彼はよく聞いていて、その夢を実現してくれた。ここの広場は、三方を建物に囲まれているが、池の方が目一杯開けているので、明るい開放感がある。玄関道八十メートルの大谷石の石畳を歩きながら、大講堂の大屋根に連なる甍の波を見て、これから入っていく建物群への期待感が高まる。それは、正門のやや暗いアーチをくぐった途端に開ける明るい広場に出ることで報われる。
この広場は建物群の中心部にあり、どこへ行くにもここが起点になるという要の役割を果たしていると同時に、いろいろな行事が開かれて人々がそれを楽しむ集いの場になっている。

秋の「村祭り」〈文化祭に生徒が付けた名前〉には、玄関道にクラス、クラブの幟が掲げられ、受付のデスクが置かれる広場では、焼きそば、たこ焼きなどの屋台が出て、祭りの気分を盛り上げる。夜は、広場からの打ち上げ花火と池の仕掛け花火がフィナーレを飾る。ここは、生徒、教職員が来客とともに行事を楽しめるハレの舞台になった。
“アーチをくぐって別世界へ”というザルツブルグ旧市街の広場は、現代の入間のキャンパスにユニークな学校の広場として、新しく生まれ変わった。
所長の考えで、広場の砂利に混ぜるのに浅間火山の砂を運び込んだ。砂利敷きの足音は楽しみながらも靴先はもぐらない硬さを得るためだ。
そこに住む生徒と教職員の毎日の生活に定着していくことで、広場は生きていく。新生の広場の歴史と文化は、彼らがこれから織り上げていくのである。

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