キャンパスツアー(1) アプローチとしての玄関道

長さ八十メートルの閉じた空間

© 2018 Mao Matsuda

北側の入り口には、第一の門がありここから正門を通って、敷地の中央に位置する建物群まで歩くことになる。ここと正門を結ぶ八十メートルの通路が玄関道だ。

© 2018 Mao Matsuda

正門は広場へ入るアーチを持つ三階建ての建物で、一階アーチの両側に小部屋、二階と三階は教室で、当初三階は書道室として使われていた。第一の門は平屋の小さな建物で、一階両側に小部屋がある。キャンパスの案内板が設置されていて必要があれば守衛の詰め所になる。

玄関道を挟むのは、長い板塀。下部がコンクリートのモルタル仕上げで上部には赤い小屋根を持つ。板塀の上に漆喰仕上げが載っている伝統的な定番の塀とは逆になっている。正門に向かって右手に、木造平屋の工作室。キャンパスの全図面を常備して、自前で修繕するためのメンテナンス・センターにする予定だった。今は用務員室として使われている。

砂利道の中央には、すれ違う余裕を見て縦長の大谷石を七列敷き詰めた。両側には、小サッカー場とテニス・コートがあるのだが、塀に遮られて玄関道からは見えない。二つの門、工作室、両側を長い塀に囲まれた細長い玄関道は、単なる通路ではない“屋根のない閉じた空間”になっている。ここからは、正面に正門、右手奥に大講堂が見え、大講堂の屋根から始まる建物群の甍の波の景観を楽しめる。

この玄関道は、時に応じて様々な雰囲気を演出する。ふだんは静かで落ち着いた空間、短い道のりの思索の道。登下校時には多数の生徒の動きとおしゃべりで、賑やかな明るい活気があふれている。秋の“村祭り”〈生徒の命名による文化祭〉には、両側に色とりどりのクラスごとの幟が立ち並び、祭りの賑わいを盛り上げる。
この空間は、敷地の入り口と建物群を繋ぐ通路としての機能を超えて、生徒、教職員の活き活きした学校活動の舞台なのだ。

アプローチの意味

朝鮮戦争以降、都市部も含む全国で定着していた擬洋式の木造二階建ての学校校舎が一斉に姿を消した。それに代わって続々と出現したのが、RC造の近代建築による校舎だった。学校建築の近代化は、朝鮮戦争を境に始まったのである。

学校活動の機能面では、近代建築の合理主義、機能主義が活かされていたが、片側廊下に沿って同サイズの教室が並ぶレイ・アウト、広い運動場と敷地外縁に接して建物群という配置計画の基本的な考え方は、そのまま踏襲されていった。
このような配置計画では、道路からすぐ建物に入れる。正面玄関と両開きかあるいはスライド式の鉄製の門という組み合わせが定番となった。門と玄関の間に車寄せの空間を取って庭にする例もあるが、機能面で言えば門から歩いてそのまま玄関に入れる方が便利であって、実際にもその例が多い。合理、機能の基準で考えれば、せいぜい二、三,台しか入れない正面玄関の車寄せなどに趣向を凝らし、多額の費用をかけるなど全くの無駄だと考えるのだろう。

アメリカ、バージニア洲のリッチモンドにある公立高校で、校舎に付属する屋根付きのスクール・バス・ターミナルからそのまま校舎に入れる例があった。この学校の特色は、朝、校舎に入れば、下校まで、生徒、教職員は終日屋内で過ごせるということだった。屋内体育館、インドア・プール,屋内テニス・コートがあるので、体育の授業やクラブ活動でも外に出る必要はない。窓などの開口部は少なく、すべて人工照明。それに集中冷暖房でいつも快適な室温と清浄な空気を保っている。
サボって抜け出すのは無理だし、昼休みにタバコを吸いに外へ出ることもできない。管理上は理想的と言えようが、四季の移り変わりが鮮やかなバージニアの豊かな自然と遮断された人工空間の箱の中で一日を過ごす学校とは、実に思い切った試みではある。

このような例は極端に過ぎるとしても、アプローチの持つ意味はもっと考えられて良いのではないか。一日二回の登下校時にそれぞれの思いを持ってその日の学校生活を始め、又、それを終えてキャンパスを離れる。毎日の学校生活の起承転結で、朝の「起」と帰りの「結」は大切な区切りであろう。学校には、ある距離を歩きながら、仲間とあるいは一人で一日の初めと終わりのひとときを過ごすゆとりがはほしいと思う。会社や工場なら,最短のアプローチでそれぞれの職場に直行出来る効率が最優先なのは当然だが、学校は違って良いはずだ。

配置計画の段階で、朝教室へ行くのに、こんなに歩かせる必要はないのではないかという意見があった。この議論は、現代の多くの人々にとっては、どのような場合でも合理、機能、効率を優先して考えるのが当然になっている状況を示している。アプローチには、機能のほかに、精神的な側面もあることを考えないのである。しかも、その姿勢は、他のあらゆる面での合理主義と技術分明に根ざしているので、なかなか強固である。
アプローチの意味は、毎日の学校生活での「起」と「結」をゆとりのある節目にしたいということだが、容易に結論は出そうになかった。建物群を中央に置くのはすでに決定していた。これを前提にすれば、入り口から一定の距離を歩くのは避けられないということで落ち着いた。
音楽でも、突然始まって唐突に終わるという行き方はあるが、日々の学校生活には、ゆったりした導入部と余韻を残す終結部がふさわしいのである。

現場で決めた玄関道の幅と塀の高さ

現場で歩いて見ながら道幅、両側の塀の高さを決めていったことは、すでに「キャンパス建設の基本的な考え方」で述べているので、ここでは、シミュレーションには限界があるのか、又、それはなぜなのかを見ていきたい。

玄関道の模型を用意すれば、現場に行かなくてもシミュレーションで決められるとするのが、今の、設計手法での主流であろう。
確かに、玄関道の幅と高さは、模型で決められそうだ。塀の模型を置いてみて、模型の塀の高さを変えたりそれを動かしたりしながら、玄関道が調和のとれた空間になっているかをチェックすれば良い。玄関道とキャンパス全体との調和のチェックは、玄関道の模型を全体の模型の中に置いてみればできる。
玄関道という空間内部の調和、そことキャンパス全体との調和は、シミュレーションでもかなりのところまで、模型によるチェックが可能かと思える。問題は、その空間の中を歩きまわって見る人の感性であって、これは、実際に現場に立たなければ得られないのである

道幅と塀の高さを変化させながら、第一に、この空間をどう感じるかが問われる。圧迫感はないか、締りのない空間になっていないか、そして好ましい緊張感がそこにあるかを感じ取るのだ。第二に、玄関道から大講堂がどのように見えるか、キャンパス全体の甍の波の景観がどう変わっていくかを見ながら、最も好ましい景観を得られるように微調整を繰り返していく。第一の点では、シミュレーションで模型の縮尺にあわせて縮小した場合の小人になった自分をイメージし、このイメージ上の小人が空間から受ける感じを推測するのだが、これはまず不可能といえる。仮にそれができたとしても、そこで得られる感じが実際に現場を歩きまわって得られる感性と大きく乖離していることは、誰にでも理解されると思う。第二については、シミュレーションでは不可能である。

いずれ、現場に実際に立つことで得られる人の感性を、シミュレーションで再現することはできないのである。実は、シミュレーションは測定と数量方式に依拠する科学技術文明に属する。それは合理と機能の面ではかなり有効であっても、こと感性に関わってくるとお手上げになると言えよう。

アメリカ最大の飛行場はワシントンシ洲ソルトレイクにある空軍基地だが、たまたま日本からシアトルに向かう便が、シアトル空港の視界不良のためここに着陸し二時間ほど滑走路に停止したまま待機させられたことがある。この時、窓から異様な光景を見た。日本航空のジャンボが、タッチ・アンド・ゴーの訓練を繰り返していたのだ。小型機のそれはよく見たが、ジャンボがやるとその迫力はなかなかのものだった。
いくらシミュレーションの精度を上げても、実際に起こり得るあらゆる事態に対応する臨機応変の訓練については、実地でジャンボを操縦させる必要があったことがわかる。

塀のデザイン

配置計画と基本計画では、玄関道に位置とそれが塀で挟まれていることが示されているだけで、塀そのもののデザインは、まだできていなかった。生徒募集のカタログに使うために、物理の教員の野寺陽彦がキャンパスのイラストを何枚か描いていたが、その中の一枚が玄関道のイメージをスケッチしたものだった。設計スタッフのハイオがこれをアレグザンダーに送ったところ、彼はすっかり気に入って、一も二もなく塀のデザインはこのスケッチでいくことに決まった。
倉敷などにある伝統的な板塀では、下が木の板で上が土壁か漆喰仕上げである。この塀は、上が板なので上下が逆になっている。塀の屋根も、伝統的な塀では瓦だが、この塀では可愛らしい赤い小屋根で、いずれも野寺のスケッチに従ったものである。棟梁の住吉は、「上と下が逆じゃないですか。」と怒っていたが、このユニークなデザインの塀は、赤い小屋根とともにこの玄関道の一部になりきっている。二十数年にわたって定着してきた今では、この塀があって玄関道が生きていると言っても良いかと思う。

完成後、偶々若手建築家のグループが見学に見えた折リ、その中の数人が立ち止まってこの塀の批評を交わしているのを立ち聞きした。私に聞こえているのに全く気が付かなかったようで、「外国人の建築家が中途半端に他国の伝統を真似しようとすると、まず珍妙な物になるのが落ちだ。この上下が逆で、しかもあろうことか、瓦でなく赤い屋根を載せるというふざけた塀のデザインなど、軽薄な外国人〈アレグザンダーのこと〉が日本の伝統をコピーしそこなった典型的な実例だよ。」と嬉しそうにアレグザンダーを嘲笑していた。彼らが、このデザインは日本人の教員によるものだと知ったら、またまたカルチュア・ショックを受けるだろう。
野寺には伝統を模倣する意図など全くなく〈もともと彼は伝統的な板塀の構造など知なかっただろうと思う。〉、ただ、この玄関道にふさわしい塀をイメージしただけ、アレグザンダーもそれを喜んで受け入れたというのが事実である。

玄関道は耳慣れない用語かと思う。Gate-way の直訳である。神社や寺なら参道という用語があるが、これを学校に使うわけにはいかない。ふさわしい用語がないということは、学校がこのようなアプローチとしての閉じた空間を持つのが異例であって、これまで学校への入り方としてのアプローチの意義があまり重視されていなかったことの反映かと思う。

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