5月の連休には、私学審議会の全委員を訪問した。この間、県学事課は学園と常時連絡を取っており、次の審議会に向けて万全の準備を整えていた。そこへ、一女性が起こした廃棄物処理場の問題での浦和地裁判決が出た。その判決の中で、今後県の審議会はすべて公開するよう命じたのである。奇蹟とも言える助け舟だった。
審議会を翌月に控えた5月末、法廷外で、沖田側と学園の和解協議が開かれたが、妨害者側は認可は通らないと強気の予想をしており、物別れに終わった。
6月の審議会は、予め連絡してあった埼玉新聞、朝日新聞埼玉支局が傍聴席で見守る中で開かれた。学園関係者だけでなく、新聞社の傍聴する中で、理由のつけようがない反対をするわけにはいかない。学事課の提案はそのまま承認され、ついに東野高校は認可されたのである。
翌日、両新聞はともにこの認可を大きく報導し、朝日新聞は囲み記事で、2回に亘る保留が極めて不明朗な背景の下で行われたようだと解説していた。