1月に入って、東野高校の設置認可が下りるのを前提として、フジタと1985年3月完成を条件に総額20億円で、工事契約を締結した。
ところが、条件も揃っており、学事課も協力してくれているので当然私学審議会で通るものと思っていたのに、2月の審議会で保留になったのである。直前に、大量の怪文書が、審議会の各メンバーに送りつけられていたのがわかった。予想しておくべきだったが、妨害分子は一部の審議委員と話しができており、他の審議委員も文書の内容がひどいのでそれを信用はしていなかったが、これだけ大量に文書が送りつけられるからには何かあるのだろうとの疑問を持ったようだ。
この間、学園に対する攻撃は、私への誹謗、中傷も含め激しくなっていった。経理に不正がある、細井の逮捕は近い等々、話にもならない内容の捏造文書を生徒の父母にまでばらまいていたのである。妥協は一切せず、強硬な姿勢を取り続けてきた私がターゲットだったことが、はっきりしてきた。
学外理事の一人が、外で会いたいと言ってきた。理事を辞めるよう勧告してきたのである。「訴訟もあるし、これ以上混乱させるべきではない。ここは身を引いて、後継者に任せてはどうか。」と執拗に繰り返す。いくら断っても諦めず、会談は3時間に及んだ。後継者と言うのは、かねてより私も信頼していた友人だが、年が明けてから顔を見せなくなっていた。辞任の強要は、彼等の間で打ち合わせ済みだったのだ。
当たり前の話だが、根拠もなく辞任するいわれはない。ある日、突然、この後継者とされている人物が、沖田側の妨害活動のリーダーと一緒に、私の自宅に現れ、プロジェクトは資金的には行き詰まり、私への教職員の支持もなく、八方塞がりだ、私が辞任して沖田らと和解し、理事会を建て直すしかないと言うのである。盈進学園は、高校新設の認可も得られず、プロジェクトは既に破綻しているという沖田側のデタラメな情報を、ここで改めて確認したことになる。私を辞任させる試みが失敗してきたが、一気に取り戻そうとしたのだ。資金は三銀行の協力で何の問題もない、教員のプロジェクトに対する支持は変わっていないと反論して、引き取ってもらった。
彼等は、私学審議会に対する捏造文書が有効だと確信しており、6月の審議会でも保留にできると予想して、さらなる攻撃をかけてきたのである。
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