理事会の課題は、新キャンパスの整備、建設である。理事に建築関係の知識を持っている者はいないが、鈴木薫理事長の下の理事会の指名で、当時財務と総務を兼ねていた私が、新キャンパス建設の責任者になった。
既に第1部で述べたが、理事会は、準備活動を通じて当初の高層化計画の方針を大転換する。広い敷地での木造低層を主体にする「盈進プロジェクト」が決定された。この方針の変更については、第一部で詳しくのべているので、ここでは重複を避けて省略する。理事会はクリストファー・アレグザンダーを盈進プロジェクトの主任設計者として起用し、ユニークな設計作業を進めている間に、入間市二本木の建設予定地の開発が認可された。
後は、この用地を取得し、武蔵野校地を売却すれば良いとなった時点で、降ってわいたように、「盈進プロジェクト」に対する妨害活動が始まったのである。
実施設計が終了し、理事会はアレグザンダーの推薦で工事の協力者としてフジタと工事契約を結び、1985 年3月新キャンパスが完成するまでの経過については、第1部の通りである。ここでは、妨害活動の経緯について述べる。
冒頭で触れたように、歴史であればすべて顕名にすべきであるが、ここでは、ほとんど匿名にしてある。