第 一 章(5)辞表集めの策謀と組合潰し

募集活動をただ傍観していた丸山夫妻は、このままではブームで溜め込んだ資金がなし崩しになるとの恐怖に駆られ、募集活動における経営責任放棄についての反省もしないまま、あろうことか教職員の削減を模索し始めた。
一部の教員を懐柔、ひそかに教員らの辞表集めをさせたのである。「先行きの見込みはないから今が辞め時、丸山理事長にそれ相応の一時金を頼んでやる。」という手口で、現に辞表を取られた教員もいた。
事実上学校運営の一切を取り仕切り、本来最高経営者の責任である募集活動でも丸山に代わって奔走していたヒゲでさえ、丸山の目から見れば組合側としか映らなかったようで、辞任させる目標にされる。活動的で仲間にも信頼されている教員を使って同じ手口で、巧妙にヒゲを辞任させようとはかったのである。いつもは必ず仲間と連れ立ってヒゲの自宅を訪ねていたこの同僚が、誰も知らないうちに、2度も単独でヒゲの自宅を訪問していた。自分も辞めるつもりだが、相当な金額の退職金を出させるよう丸山と交渉するから一緒に辞任しないかと、長時間粘って説得し続けたのである。
疑問を感じた家人からの連絡で事態を確認でき、それとなくこの教員がヒゲと接触できないような体制をとった。彼は、同じ武蔵野市の幼稚園で教員が不当解雇された時の抗議活動では、参加者を先導し警備員の制止を振り切って園内に強行突入するなど組合活動ではいつも先頭に立って勇敢な活躍をしていたので、辞表集めに走るなどとは誰もが思いもよらなかった。「毛沢東語録」に、“闘いで勇敢なものほど、頭をなでられると弱い。”との一節があるが、彼も丸山夫妻に頭をなでられたようだ。ヒゲへの策謀を含めて、丸山の辞表集めは失敗に終わる。


こうなると、行き着く先は組合潰しであるが、その手口、策謀は古典的かつ通俗的なもので拙劣を極めた。第二組合の結成と、バーに誘っての幹部の懐柔である。
第二組合も結成されたが、当初から丸山の手先であるのが見え見えである上に教職員の信望のない執行部では、教職員の分裂工作などできるはずもなかった。“飲ませて懐柔”という手法は歴史とともに古いが、偶々ねらった組合幹部が酒を飲めなかったので、あえなく失敗する。ついには、「組合幹部はアカだからソ連への留学を持ちかけたらどうか。」という話まで出てきたという。それにしても、金を渡して懐柔するというよくある手法を試みなかったのは、理事長夫妻がよくよく金を払うのが嫌いだったからにほかならない。
ついに、体育科で柔道を教えていた教員が、丸山理事長の代行に就任したが、団交の正攻法の前では、金を出すことだけはしない丸山夫妻の説得は無理である。金額をめぐる駆け引きさえできないのでは、圧倒的な教職員の団結に歯がたたなかった。

組合の民主的な運営は徹底していた。団交の間、組合員・非組合員はともに教員室で待機し、合意の可否は必ず執行部との討議にかけたが、圧倒的な教職員に支持されている組合と理屈抜きに支出を嫌う丸山夫妻との間に立って代行が務まるものは、唯の一人もいなかった。

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