第 七 章(1) 現場の教師としての棟梁住吉

技術的なことを言うなら、フジタには別格の住吉とは程遠くとも、それなりの腕を持つ木工事の経験が豊富な大工が一人もいなかった。所長は、大工の工作上の問題があるといつも住吉に質問し教えてもらっていた。
大工らも、住吉には敬意を払っており、工事の進行には一切口をはさまなかった住吉も、細かい作業に至るまで木工事に関する質問には丁寧に答えていた。管理者としての仕事を嫌いそれは努めて避けていたが、木工事の経験と知識は惜しまず提供しており、所長にとって彼は不可欠の存在だった。彼がいなかったら、所長がこのプロジェクトを完成させることはできなかったと思う。

現場で実際に自分の手を動かす大工仕事にしか関心のない住吉にとっては、後に述懐していたが、“彼の仕事”なるものは全くなかったのである。作業全体の統括・管理は所長の仕事であり、元々住吉はそのような仕事は嫌っていた。彼にとっての仕事とは、実際に木工事を自分の手でやることだったのだ。それはなかったが、毎日現場で寄せられるあらゆる質問に丁寧に答え、木工作業の実際を手ほどきしてくれた彼の役割なしに、このキャンパスの完成はあり得なかった。彼自身にはそれが自分の仕事だという認識はなかったと述べていたが、実は余人を以ては代えがたい重要な役割を果たしてくれたのである。

住吉は、下の事務所をまだ暗いうちに出て、一日も欠かさず現場を見まわっていた。大工が顔を見せ始めると入れ違いに事務所に戻り、その後の質問への対応と作業の実際の指導のために、要請があればまた現場へ出向いていた。
鉄骨の大講堂など多くの仕事については、フジタは豊富な経験を持っている。困難は、未経験の木工作業に集中していた。所長初めスタッフら何組かのグループに分かれていた大工の棟梁らにとって、住吉は優れた教師でありコーチだったのである。

擬洋式の木造校舎をそっくり踏襲している教室棟は、多くの大工にとっては初めての経験だが、住吉には慣れ親しんでいた木工事だった。平屋の教員室棟、二階建ての管理棟などもお手のもの。これらの木工事で難しい作業は何もなかったが、問題は大構造の武道場、多目的ホール、体育館だった。その中でも特に体育館は、戦後初めての木造大構造であり、何から何まで挑戰的な作業の連続だった。
体育館の工事中、最も難しい作業は、平地で組み立てた屋根の合掌部分のパネルを林立する三十センチ角の柱の上部にはめることである。住吉の適切な指導と助言があったにせよ、最後は現場の職人が覚悟を決めて解決するしかない。手に汗握る緊張した作業となったのである。

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