第 六 章(1) 建設工事委員会

八月末、二本木の敷地のすぐ下に家を借り、現地設計事務所とした。棟梁の住吉がハイオと住み、スタッフの塩原民夫、筒井実代子がここに通うことになった。毎日次々とその場で決めなければならないことが起きてくる。一々アメリカに問い合わせていたのでは、間に合わないのだ。問題の討議と決定のために、学園側から設計スタッフのハイオと教職員代表、フジタ側からは藤田所長が参加する建設工事委員会を発足させ、毎週金曜日にこの事務所で会議を開くことにした。

ハイオが日本語を話せないので、私は可能な限り毎回出席していた。教員代表の小林清隆は、この会合を「おしん会議」と名づけていた。双方の考え方の違いから来る激しいやり取りを充分には理解しないままに、発言もしないで座っているのは、彼にとってかなりの苦痛だったのである。私やハイオと所長とのえんえんと続く議論を、ただ黙って聞いているので、辛抱強さを試されているみたいだったという。しかし真面目な性格の小林は、欠かさずこの委員会に参加していた。
教職員の多くは建築の素人であり、工事方法について妥協を認めないような強い主張を持っているわけではない。どちらかと言うと、大手の建設会社に任せておけばよいのではないかという方向に傾むきがちだった。

会議の主題は、大半がフジタ側からの提案で、工事方法をより簡便なものにしてほしいということが多かったが、譲れない重要な変更については何時間もかかる議論が少なくなかったのである。
ハイオと学園側の基本姿勢は、アレグザンダーの指示と実施図面通りに工事を進めるということだった。工期とスピードが、いつも問題の背景だった。藤田所長の主張の根拠は、指示通りにやっていたら工期内の完成は不可能だということだった。もっとも、そのような変更の要請は、最低一週間の余裕を見て出されていた。施主側に考慮時間を与えていたところは、充分な話し合いで施主側との合意で決めたいという藤田工事所長の協力的な姿勢の現れだったと思う。
施工上の、あるいは委員会で討議された事項の主だったものについて、順序不同で述べていきた
い。

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