※著作権者の許諾をいただいた記事より、随時原本を掲載します。
雑誌記事
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- 細井久栄「学校らしさを求めて」,『住宅建築』1986年1月号,p.86,建築資料研究社.
- 「盈進学園東野高等学校」,『住宅建築』1986年1月号,p.87,建築資料研究社.
- 細井久栄「木造建築需要拡大策に望む 東野高校校舎建築の経験から」,『山林』1985年5月号.
- 松葉一清「<近代>との闘争」,『新建築』1985年5月号,p.153,新建築社.
- 「盈進学園東野高等学校」,『新建築』1985年5月号,p.163,新建築社.
- 環境構造センター「盈進学園のパタン・ランゲージ」,『新建築』1985年5月号,p.182,新建築社.
- ハンスヨアヒム・ナイス「盈進学園東野高等学校 計画概要」,『新建築』1985年5月号,p.183,新建築社.
- 「理想的学習環境が美しい村となって出現」,『BRUTUS』1985年6月15日号,p.148,マガジンハウス.
- 「面白くて、学校から帰りたくない アレグザンダー教授が設計したユニークな木造校舎」,『アサヒグラフ』1985年6月28日号,p.24,朝日新聞社.
- 細井久栄「学校の”住居離れ”を憂う」,『日経アーキテクチュア』1987年6月号,p.25,日経新聞社.
- 「盈進学園東野高校 建物が生徒を変えた・・・・・「小さな村」から中間報告」,『日経アーキテクチュア』1987年7月号,p.148,日経新聞社.
- 「現代建築に「木」が帰ってきた」,『科学朝日』1987年10月1日号,p.12,朝日新聞社.
- 松葉一清「北米生まれ「新木造」の潮流」,『科学朝日』1987年10月1日号,p.22,朝日新聞社.
- 細井久栄他「討論「木造校舎その今日的課題」,『木の建築』1987年12月号,p.14,木造建築研究フォラム.
- クリストファー・アレグザンダー「現代日本の文化と東野高校の意味」,『新建築』1989年3月号,p.246,新建築社.
- 細井久栄「「東野」を通してアレグザンダーがわれわれに語るもの」,『新建築』1989年3月号,p.251,新建築社.
- 「外国人建築家による”日本的表現”の学舎村 埼玉県入間市・盈進学園東野高校」,『毎日グラフ』1989年3月19日号,p.10,毎日新聞社.
- 「盈進学園東野高等学校」,『文部時報』1990年3月号,p.1,文部省.
- 細井久栄「もう高層住宅なんていらいない」,『別冊宝島』1992年3月号,p.150,宝島社.
- Architecture Watching 2 盈進学園東野高等学校,『SPACEJ MODULATO』1986年10月号,日本旭硝子.
新聞記事
- 中島信吾(1985)「にゅうすらうんじ ユックリズムのまなびや」,『朝日新聞』1985年4月6日付朝刊,5(3)
- 朝日新聞「アレグザンダーの建築思想 盈進学園東野高校で実現」1985年5月14日付夕刊
- 読売新聞「木の感覚”個性教育村”」1985年6月4日付夕刊
- 林業新聞「木造校舎と解け合う生徒 木の文化が「5感」育む」1986年11月12日付
- クリストファー・アレクザンダー(1990)「論壇 「都市住宅は高層」の惰性改めよ うるおいある低層で同戸数確保可能」,『朝日新聞』1990年3月23日付
- クリストファー・アレクザンダー(1991)「ニュース談話室 低層で、うるおいある高密度の住環境できる」,『毎日新聞』1991年3月24日付
- 白井正夫(1995)「風景考 茶畑に切り妻の新風かおる 東野高校校舎」,『朝日新聞』1995年5月7日付日曜版