生徒の喜ぶ「離れ」
平屋木造のこの建物は、池の東側に面して大講堂に接している。正門をくぐってすぐ右手、広場に続く低い塀に仕切られた花壇の庭が玄関への入り口だ。
玄関を入ると、左手に、楽器庫を兼ねたスペースを持つ大音楽教室〈大と言っても普通の教室よりやや広い程度〉、右手はサッカー場に面した小音楽室で、その背後の池を目の前にした教員室へはそれぞれの部屋から出入りできる。小音楽堂からは、直接廊下を通って大講堂の舞台に行ける。廊下の右手、池に面した小部屋はアプライトのピアノを置いてピアノ練習室に使える。小音楽堂は、大講堂の舞台裏につながる楽屋にもなっているのだ。
薄暗いイメージのある普通の楽屋と違うのは、そこが明るい開放的な音楽の授業のための専用の空間だということだ。大講堂のイベントが音楽関係だと、二台のピアノ、各種の楽器、備品が揃っているこの楽屋は、お誂え向きといってよい。開演前や練習時間に思い切りボリュームを上げて練習しても、ホールの中の楽屋と違って全く別の建物なので、遮音は完璧なのだ。
教員室、大音楽室はいずれも目の前が池、季節の良い時だと東西の窓を開けておけば、池を渡ってくるさわやかな風が心地よい。教員室は、横長のこじんまりした三、四人用の部屋で、楽譜、レコード用の棚と幾つかの机を置けるが、窓いっぱいに池を望む明るい読書室といった雰囲気で落ち着いて仕事ができる。一言で言えば、居るだけで楽しい教員室になっている。大音楽室は玄関部分に空間の一部を割いているが、残りの部分は楽器庫として使っている。間仕切りはない。ブラス・バンドの楽器にドラム、ティンパニー、譜面台を入れるとちょうどいっぱいになる。
楽器の運搬は結構面倒なので、楽器庫付きの音楽室は、授業、練習に便利だ。隣の小音楽室で同時に、合掌や弦楽合奏の練習をしていても、境の壁が厚く防音効果が良いので、お互いの音は全く気にならない。体育館二階の小体育館と並んでいずれも池の見えることで、この小音楽堂を気に入っている生徒は多い。
ここは、玄関前に花壇、裏手は池という、ちょっとした可愛らしい離れである。教員が居ない時でも責任者に預けてある鍵で、生徒が自由に使えるのも、彼らに好まれている理由の一つかと思う。アレグザンダーは、ここの設計にもっと時間をかけたかったと言うが、生徒は、“離れ”というだけで嬉しいのだ。これに、花壇、明るい池の見える教室とくれば、生徒の喜ぶ条件は充分に揃っている。
東京武蔵野市にあった旧校舎の音楽室は、RC 造の建物の四階の隅にある角部屋、厚い防音ドアを持つスタジオだった。エア・コンを備え、吸音板を多用し、防音アルミ・サッシュの窓を閉めると、外界の自然とは完全に切り離された密室だった。音楽だけを考えればそれで良いのだが、せっかく自然に恵まれている新しいキャンパスに、そこだけ完全な人工空間の密室はそぐわない。周囲の環境を考えれば、池のほとりにある明るい開放的な「離れ」こそがふさわしい。それだけで、生徒が喜ぶ、ユニークな小音楽堂になっているのだと思う。
建築文化と音響効果
音楽を楽しむ空間となると、音響効果が問題となる。最良の音響が得られるように、空間の形、容積、柱、梁、天井の素材、吸音板の使用を考えながらデザインを決めてゆくことになる。特にRC造の人工空間では、このような配慮がないと音楽を楽しめないということになっている。
と言っても、このような空間で適切な音響を得るのは難しいと思う。この分野の専門家はいるし、彼らはプロの面子にかけて安定した良い音響を保証出来るというのだろうが、最良の吸音材である聴衆の人数は予測できない。その時になって、人数に合わせてカーテンの開閉、家具、造作の移動などで調整するのは実際には不可能だろう。聴衆の側に格段に鋭い耳の持ち主がそれほど多くはいないので、ほどほどの音響が得られれば良いというあたりで妥協しているのが実際かと思う。ただし、ほどほどの配慮もしていないRC造の空間だと、並みの耳の持ち主でもひどい目にあう。
日本で最も優れた近代建築の一つに、丹下健三の設計による東京目白のカテドラルがあるが、ここの会堂のエコーはひどい。音のことごとくが、きちんと二回ずつずれて聞こえてくるのだ。牧師の説教が輪唱になるのは困る。
装飾のないスッキリした造形は簡明直裁な線で構成され、ポスト・モダンの饒舌の対極にあって無言の厳しさを感じさせる。カトリック教会の伝統と言える重厚で儀式張った装飾、彫刻などは無いが、会堂の空間は、そこにイエスの身体の実在を体感させる静かな緊張感を持っている。これが美術館なら問題はなかったが、イエスを称える言葉と賛美歌が決定的に重要な役割を果たす教会であるために、エコーが致命的な欠陥になった。
これと逆の例を、東京・ホテル大倉のアネックスで経験した。友人の結婚披露宴で、同僚の音楽教師が「乾杯の歌」を歌うことになった。明るく華やかな声のテナーで、声量は掛け値なしに世界で何人といないと思われる特異な声帯の持ち主だった。彼が目一杯に歌いあげると、三十分くらいは耳がおかしくなる。それが、一切の抑制抜きに心ゆくまで歌い上げれば良いという「乾杯の歌」を選んだのである。最高のエンタテインメントになるはずだった。
歌い始めると、何かおかしい。声が響かないのだ。出だしは抑え、クライマックスで思い切り歌い上げようという演出かと不安なまま待っていたが、一向に盛り上がらないまま終わってしまった。ハレの場であるし、義理でも盛大な拍手がわくはずだが、まばらな拍手しかおこらない。誰もが知っている歌だけに、期待を裏切られてあっけにとられたのだ。 本人は、歌い始めて、すぐ愕然としたと言う。焦ってボリュームをあげようと努力したが、歌うそばから声が空中に吸い込まれていく異様な現象で頭がおかしくなったのだそうだ。
一般にRC造の建物にある宴会場では、食器の触れ合う音でさえ増幅されて耳障りになるので、響きを抑える工夫がされている。床に敷き詰めた厚手のカーペット、ガラス窓を覆う厚手のカーテン、それに壁、天井の吸音材が、音を吸収する。さらに、多数の出席者が最良の吸音材として加わったので、「乾杯の歌」にとっては最悪の条件が出揃ったわけだ。出席者が多くなればなるほど、盛会のせいで音が響かなくなる皮肉な結果だった。挨拶が聞こえないと困るので、スピーチではマイクを使うが、クラシックの歌手は、面子にかけてもマイクは使わない。新郎がピアノを演奏したが、チェンバロ程度にも聞こえなかった。
こと音響に関する限り、RCの空間は響き過ぎるのだ。それを抑えるための行き過ぎたホテル・大倉のアネックスでは「乾杯の歌」が台無しになったし、抑制を放棄した目白のカテドラルでは牧師の輪唱になってしまった。音響のプロなら与件に基づいて響きを調整するというのだろうが、食べ過ぎに消火剤を処方するようなものだと思う。
天井、壁、床のすべてが木の音楽室は、音響については優れていた。何の計算もせず自然の素材を使っているだけだが、それでよかったのだ。食べ過ぎなければ、消化剤もいらない。音楽室は普通のホールに比べればはるかに狭いが、有効な吸音材が三、四十人入るので、響き過ぎはない。ブラス・バンドの練習にも、何の不都合もなかった。逆に、誰もいない時に一人でピアノを弾いていると、狭い部屋とは思えないくらいよく響く。
幸運なことに、やはり何の計算もしなかったのに、大講堂では反対側の三階の回廊の隅で、舞台で弾くピアノの弱音がはっきり聞き取れる。それでいて、天井、壁、柱、梁のすべてが漆喰仕上げで床が板張りであることが、期せずして吸音効果に役立ち、数百人の人間が入ると響き過ぎを充分に抑えながら必要な音響は得られるので、ソプラノのリサイタルでも声はよくとおり、ブラス・バンドもなかなかの迫力だった。演劇部の「レ・ミゼラブル」でセリフがはっきり聞き取れなかったが、これは発声練習の不足からきたもので、大講堂のせいではない。技術的な測定や工夫などなしにこのような適切な音響が得られたので、「幸運」といったが、実は必ずしもそうとはいえないのかもしれない。
ヨーロッパ中世のカトリック教会では石造りの空間が多いが、会堂全体が巨大な共鳴箱になっていながら、天井、壁面を覆う装飾と彫刻、やはり彫刻に包まれた列柱、伝統的な儀式にふさわしい祭壇、木製のベンチなどが、集まる人々の吸音効果と相まって、荘厳な音の響きを作り出している。ろうそくが必要な暗さの中に厳しい緊張感を持つ祈りの空間をつくってきた人々の知恵と工夫が、結果として音響の上でも適切な響きを保証してきたのである。
良い教会建築では、測定の手段も音響技術もない時代から、ふさわしい音の響きが人々の祈りを包んできた。自然の素材を使ってできるだけ良い建築を作ることが、音響技術など無い時代から人々に適切な音の響きを与えてきた歴史を考えると、小音楽堂、大講堂で得られる優れた音響効果を必ずしも「幸運」とはいえないのだろうと思う。
季節のよい五月、偶々居合わせた若い音楽教員の誘いに乗って、ユーフォニュームで彼がフォスターの歌曲を演奏するのにピアノで付き合ったことがある。背筋がゾッとするようなユーフォニュームの柔らかな響きに接して至福の一時を楽しんだ。池を渡ってくる涼風も良かった。このことでは、今も、彼と小音楽堂に心から感謝している。